〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part [』 〜 〜

2011/08/10 (水) 後 の 月 (九)

信康の自刃は、ふたたび家中へ、大きな動揺をもたらした。
噂は噂をうんで、岡崎では、酒井忠次と大久保忠世を罵る者がふえていった。
「── 若殿を殺したのは、酒井どのと大久保どのじゃ。あの両人が若殿を信長に悪しざまに讒言ざんげん して殺したのじゃ」
「── いや、そればかりではない。その前非を悔いて、必ず大久保どのが、若殿のお生命を助けるに相違ない・・・・そう信じて大殿は二俣城へお預けなされたのだ」
「── そうじゃとも、ご親子の情はそうあるべきところ。ところが、それを助けもせいで、みすみす殺してしまうとは、このうえない大不忠者じゃ」
「── それでいったご遺骸はどうなされたのであろうの」
「──二俣城外の、何の変哲もない場所に埋められたのでな、岡崎から首を盗みに行った者があるそうじゃ。あのような立派な大将はもう出るものではない。それゆえ若宮八幡の近くに首塚を作り、やがてそれを神に祀る魂胆と聞いている」
そう言えば、遺骸を葬った二俣城外 (後に家康、清滝寺を建立) のほかに、岡崎へも首塚らしきものが建ち、さらに、徳姫のもとへ遺髪が届けられたという噂までが立っていった。
徳姫はひそかに榊原七朗右衛門の妹を二俣城へつかわして、遺髪を取り寄せたと言われ、そのせいか、榊原七朗右衛門清政は、これも家禄を捨てて一族の康政の屋敷に蟄居ちっきょ していった。
いずれもみな信康を惜しむのあまりの風聞だったが、その風聞の広がるにつれて、築山御前の幽霊を、城下のあちこちに見たという者までが現れた。
天方山城は、信康の遺骸の始末を終わると、そのまま高野山にかくれて、再び浜松へ戻ることを聞き入れなかったので、事の報告は、服部半蔵が一人で家康にしなければならない羽目になった。
家康は半蔵が戻って来る前に、すでに信康の自刃を知っていたが、
「服部半蔵どの只今立ち帰られました」
井伊万千代にそう告げられると、
「よし、これへ通せ。これへ通せ。これへ通して、みなはしばらく遠慮せよ」
と言ったが、思い直したように、
「よいよい、みなもいてよい」
大きくうなずき返して半蔵を待った。
庭先へほそい時雨しぐれ が降りしきって、木犀もくせい の黄色い花がしめった地面いっぱいに散っていた。
服部半蔵は、げっそりとやつれていた。鬼半蔵の異名のとおり、ぎろりと大きく眼をむくと、思わず人に視線を伏せさせるほどの男が、まばらに頬ひげをのばして、眼のまわりに黒いくまを作っている。
「半蔵か、ご苦労だった」
家康が声をかけると、半蔵は持て余していたものを投げ出すように襖ぎわに坐った。
「大殿! ご苦労ではござりませぬ。この半蔵に切腹を」
家康は、わざと聞かぬふりをして、
「信康の切腹ぶりは、どうであった。取り乱しはせなんだか」
感情をおさえた声で、そっと脇息きょうそく を前におき直した。

「徳川家康 (七) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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