半蔵はぎくりと肩を波打たして天方山城を見合った。 彼が命じられてきているのは、信康の想像どおり介錯の役であった。 家康はそれを半蔵に命じるとき、床払いをした居間で、机の寄って、何か認
めていた。 「── 半蔵、ほかでもないがの、その方二俣へ参って、三郎が介錯をしてやってくれ、また安土から督促
が参ったわ」 一度移した視線をちらりと窓外へそらしながら、後の始末が何かと気になってならぬと見える」 半蔵は、気が動転していて、 「──
大殿、その儀は・・・・」 なにとぞ余人にと言おうとして、続けさまに頭を下げた。 「── 半蔵」 「── はいっ」 「── 実はの、この役、渋河
四郎 右衛門
に申し付けたるところ、四郎右衛門め、三代相恩の主君にあれる刃は持たぬ・・・・そう言って昨夜逃亡してしもうた。律儀
な、しかし気の小さい奴での。よいか、それゆえ、その方は二俣におもむき、忠世とよく相談を遂げたうえでの、手抜かりないよう、充分に覚悟して取り計らって来るように」 そう言ってから、またチラリと半蔵を見やって、 「──
検視には天方山城をつけてやろう」 それでも半蔵は、誰かほかにお命じ下さるようにと辞退した。すると家康はいささかムッとしたように、 「── それほどこの使いがいやか」 と、押してくる。やむなく引き受けて来たものの、こうして、信康の方から先に介錯せよと出られると、顔もあげ得ぬ始末だった。 「どうだ。介錯してくれるであろうの」 「は・・・・はいっ、しかし・・・・」 「しかし、どうかしたと申すのか」 「く・・・・く・・・・口惜しゅう存知まする。このような仕儀になって」 信康はそれには答えず、 「忠世、もはや元康が心はうごかぬ。首の座の用意あるよう」 忠世はいぜんとして背をむけたまま、低い声で、 「はっ」
と答えたが動かなかった。 半蔵はこの時になって急に不安を覚えだした。 (これは、切腹させては、ならぬのではあるまいか?) 家康は、彼が信康の首を斬り得ないと知り、わざと渋河四郎右衛門の逃亡を話して聞かせたような気もする。 (──
三代相恩の主君の首に当てる刃は・・・・) 「若殿!」 と叫んで、半蔵は急に忠世に向き直った。 「若殿に・・・・若殿に・・・・この場・・・・ほかに何ぞおすすめすることが、あるのでは・・・・」 「ない!」
と、信康はきびしく言い、もうしずかに諸肌ぬぎかけている。 心の決まったときに・・・・と、考えて、下着はすでに白かったが、それは死装束
にふさわしい純白ではなかった。 「さ、よいのう、あまりおれを苦しめずに、よいか。天方山城は検屍してゆけ」 信康はそう言うと、何のためらいもなく脇差を抜いて、そっとそれを燭台の火にかざした。
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