信康が浜名湖の東北岸、堀江の城へ移されたのは八月九日であった。 その日信康は、父の命で大浜を出発すると聞かされると、 「──
お父上がは、それほどわれらに、用心深く当たらなければならぬのであろうか」 眼を伏せるようにしてそうつぶやいた。 大浜は岡崎に近い。ここに置いて万一、家中の者に騒ぎ出されてはと、父の居城に近い堀江の地へ移すのであろうと信康は受け取った。 「──
親吉、お父上に、ご安堵あるように申し上げてくれ。三郎は決してお父上を怨んではおらぬ」 澄みきった秋空を仰いで乗り物に入るとき、信康は大きく背伸びをして親吉に笑ってみせた。 「──
親吉、これで逢えぬかも知れぬなあ」 親吉は顔をそむけて平伏したまま何も言えなかった。 「── お父上を頼んだぞ。たっしゃでおれよ」 信康についてゆくのは小姓五人。途中の警備はすべて父の引き連れて来た浜松城の兵が当たった。 家康はいったん西尾の城を出て、その行列の去って行くのを見定めてから岡崎城へ戻っていった。 家康にとってはその夜もひどく寝苦しい一夜であった。うとうとすると、すぐに湖水をわたる櫓
の音が聞こえてくる。 吉田城から酒井忠次の家臣たちが、信康を奪い取りに行く夢であった。 「── あとはわれらが引き受ける。とにかく三郎さまをお助けでよ。さもなければ、われらが家中の者に顔向けならぬ」 みよしへ立ってそう叫んでいる忠次の姿を見て、眼を覚ますと、あたりはすでに明るく、枕はしっとりと濡れていた。 家康は起き出すと、またいつものとおり、堀江からの情報を待ちつづけた。 道中で誰かが奪い取ったか? それとも船で忠次の手勢が助けに行ったか? 今日は必ず、何かの知らせがある
── そんな気がして、心のうちは波立ちつづけた。 しかし、九日の夜も、十日の夜もいぜんとして奇蹟は起こらず、信康は堀江の城で、大浜と同じように一室へ謹慎し、しずかに書見しているという知らせだけであった。 十二日になるとたまりかねて家康は、大久保忠隣
を呼び出した。忠隣は忠世の嫡子であった。 「その方ただちに父のもとへおもむき、堀江にある三郎を二俣
城へ引き取るように申し伝えよ。わしもこれから浜松へ引きあげる。万事手抜かりのないように・・・・」 手抜かりのないように ── と、いう一語を思わず力をこめていって、家康はハッとした。 家臣に謎をかけねばならぬとは、何というみじめな、愚痴な親になったものかと、自分で自分が歯痒かった。 「かしこまりました。さっそく二俣城へ立ち越え、しかとその旨父に告げまする」 忠隣は若々しい頬を紅潮させてはっきりと答えた。 「おう、しかと頼んだぞ」 そして、家康もまた、そのまま行列をととのえて、岡崎を発ったのだが、心の中は来るときにもましてやりきれなさでいっぱいだった。 (忠世、おぬしだけはわしの謎を解いてくれよう。のう、それで忠隣を使いさせたのだ・・・・) |