〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part [』 〜 〜

2011/08/08 (月) 泣 き 獅 子 (六)

家康は西尾城へ九日まで滞在した。
いや、それは滞在というよりも、滞陣というにふさわしかった。武装もとかずに弓、鉄砲の衆を引き連れてじっと四方を押える備えで過ごしていった。
降りつづいた雨は七日の午後に至ってようやく止んだが、その七日の夜が、家康にとっていちばん心の騒ぐ、焦慮の一夜であった。
あれ以来、信康の命乞いをして来る者は誰もなかった。すでに家康の決意が牢固としてぬくべからざるものとの印象を、きびしく上下に与えていったせいであろう。
その間に信長からの詰問状につづいて、こちらから届けていった信康処断の手紙の返事がもたらされた。それには、
「── さように父、臣下にまで見限られたるうえは、是非に及ばず、家康の存分次第になと、書いてあった。
それらの事は当然予期していたこととて、別に愕くところはなかった。
その日も家康は使い番の小栗大六を呼んで、
「三郎はどうしていやった?」
と、さりげなく訊ねた。
小栗大六は大浜と西尾の間を往復して、信康の様子をつぶさに家康の耳に入れていたのである。
「はい、いささかも変わったところはなく、居間を一歩も出ずにご謹慎なされてござりました」
「そうか」 と、家康はため息した。
自分の命令はきびしくみんなに守られている。当然安堵してよいはずだったが、それがかえって物足りなかった。
誰かが家康の胸に秘めてある想像を察知して、信康をどこかへ連れ去ってくれないかという、考えてはならない考えがいつも心底から消えなかった。
大浜は海辺なのである。陸上の備えはきびしくしてあったが、何者とも知れず、海上から夜陰ひそかに小舟でやって来て、信康をさら っていったとなれば切腹の命は宙へ浮く。
その間に徳姫のあの切ない心情が信長に通じていったら、あるいは信康は死なずに済むのではなかろうか・・・・?
(いや、考えまい! 明日は切腹を命じよう)
それがここ数日間の悲しい迷いでありあせりであった。
久しぶりに雨はあがり、澄んだ秋空がぽっかりと深い紺青こんじょう を見せると、家康は人事の煩瑣なもつれに、今さらながら腹立ちを覚えた。
(よし、今夜こそは決心しよう)
その夜家康は、星空を仰いで城内のそこかしこと一刻あまり歩きつづけた。
が、一度動揺しだした心はついに決まらず、決まらぬままに仮睡かすい して、夜明けに到って全く違った決心にたどりついていた。
信康を、遠州の掘江に移そう ── と、いうことだった。
ここ大浜では、家康の命はあまりにも威令をもちすぎた。これを同じ片側は浜名湖の堀江の地に移したら、家康の心を察し、小舟をこいで現れる者がきっとある・・・・その一人はこんどの事に最初から関係している酒井忠次、そしてもう一人は忠次と一緒に安土から戻って来た大久保忠世だった。
二人ともすでに信康の年齢に近い子供を持っている。なぜ大殿が、堀江の地に・・・・と、考えて当然この苦しい父の心に気づきそうに思えた。
「考えるところがあって信康は明日、遠州堀江の地に移す。その手はずを整えるよう松平家忠を呼んで命じると、急に家康はあたりが明るくなったような気がした。

「徳川家康 (七) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
Next