徳姫の唇は紙のように白くなった。 「安土の父から、そのようなことを・・・・」 「はい、仰せ寄こされましたゆえ、いかに大切な若殿でも、容赦ならぬと・・・・これが大殿のご心情。家中一統は口惜しさ骨髄
に徹しておりまするが、大殿がわざわざ浜松から人数をひきいて立ち越えなされ、騒ぐでないぞときびしいお達しゆえ、みな涙を呑んで控えておりまする」 石川太郎左は、言っているうちにだんだん御台所が憎くなった。もっともっと手きびしい言葉を投げてやりたくなったが、自分の任務を思って、危うくそれを押えていった。 (おれは、御台所のお身を守れと命じられていたのだ・・・・) しかし、そうは思ってみても、優しい言葉は口に出ず、 「昨夜、あの豪雨の中を、若殿は百姓姿で大浜から忍んで来られ・・・・」 と、ついまた榊原小平太に聞かされた信康の惨めなさまを語りだしていた。 「この信康に謀反などとはお情けない。ほかの事はともかく、それだけは、信じていると一言仰せ聞かされたいと・・・・だが、ついに大殿は、それをふり切って、縁へも上げなんだと聞き及びました」 徳姫はもうそのとき、太郎左の言葉を聞いてはいなかった。胸いっぱいの感情がしぶきをあげて狂いだし、自分が家中の者の怨嗟
の的になっていることすら考え及ばなかった。 まだ何か言っている太郎左にいきなりくるりと背を向けると、宙を踏む足どりで、自分の居間へ戻っていった。 「これ菊乃・・・・菊乃はおらぬか」 「はい、御台所さま、菊乃はここにおりまする」 「おお菊乃か・・・・呼んでたもれ、ここへすぐに」 「と、仰せられますると、どなたさまを」 「きまったことじゃ。二人の姫を」 菊乃はまんまるい眼をいっそう丸くしてそそくさと立ってゆくと、手まりをついていた二人の姫を両手にすがらせて戻って来た。 「姫君さまが見えられました」 その声でそれまで虚空を見据えていた徳姫は、 「おお」
と視線をそちらへ移した。 「菊乃、そちは退っていや。わらわは一人で考えたい」 「はい、あのう、では姫さまたちは」 「置いてゆくのじゃ」 その母の声の尖
りに、二人の姫はキョトンと固く坐り直した。 「これ姫たち」 「はい」 「はい、何でござりまするお母さま」 「大事ができました。思いがけない大事がなあ・・・・・」 「大事とは?」 「お父さまが牢人なされた・・・・といってもこなたたちには分らぬことか・・・・お父さまのお身の上に一大事ができました。どうしたらよいものやら・・・・まだこなたたちでは相談相手にもならぬ」 二人の姫はいぶかしげに首を傾けて、 「お母さま、まりを突いてはなりませぬか」 「なりませぬ」 はじき返すように答えて、それから徳姫は、また、刺す眼でじっと二人の子供を見すえていった。
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