〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part [』 〜 〜

2011/08/06 (土) 追 放 (五)

近侍が信康の出発を知らせて来ても家康はしばらく身動きもしなかった。
ここでも雨音はしだいに高くなっていったが、気温はぐんんぐん上がって来る様子。
季節の台風がはこんで来る雨かもしれない。そう言えば、だんだんあちこちの風音g大きくなった。
昨日まで信康の居間であった書院に黙然と坐っていると、家康は、生まれて三十七年間の人生が、すべてむざんな悪夢のように想えて来た。
(いったいどこに、このみじめな今日の原因があったのであろうか・・・・)
自分と築山どのの不和のためとは思いたくなかった。
その不和の原因ならば今川義元が織田信長の手に首を渡したことにあった。といって、信長がこれを討たなかったら義元が信長を討っていたに違いない・・・・
この世とは、あらゆるものが、原因となり結果となって永遠に流転してゆく悲嘆の連続だというのであろうか?
「殿・・・・」
これも木像のように、書院の入り口に坐っていあた本多左作左衛門が声をかけた。
「そろそろ日が暮れましょうで」
「分っている。が、作左、悪縁というのはあるものじゃのう」
「殿お一人にあるのではござりませぬ。この作左、お家の一大事は、三方ヶ原の合戦のおり・・・・と、存念しておりましたが、こんどはそれ以上、危ないことと思いまする」
「分った。では、すぐに築山御殿へ、矢来を組ませての、いっさい出入りを禁じてくれ」
「そのお手配はもう済みました」
「そうか。では、徳姫の身辺を固めさせよと言うのだな」
「はい、そのお指図は殿がなさらぬと、若殿の家来どもが納まりませぬ」
「そうであった。石川太郎左を呼んでくれ。わしから直々じきじき に申しつけよう」
家康はそう言ったあとで、
「この雨、秋出水になりそうな降り方になって来たが・・・・」
首をかしげて外をのぞいて、
「作左、わしは徳姫も決して斬らせぬ。その代わりに、築山どのも斬らぬぞ」
「それは、何の意味でござりまする」
「どちらも、 き世の波にもてあそばれた哀れな女子、力を持たぬ者など討つは武将ではないと悟ったのだ」
「分りました。殿のお心・・・では太郎左を呼んで参りまする」
大広間ではまだ誰も立ち去っていなかった。
彼らはみな、家康が、これほどきびしく、これほど性急に信康を裁こうとは思っていなかったのだ。
「憎っくい若御台さまじゃ。二人もお子のある仲で、殿のざんげを実家になさるとは」
「いや、おれは左衛門尉さまが憎い。御台さまが安土へ参られるはずはなし、告げ口の役を仕果たしたはおのお方に違いない」
「とにかくみなで血判して、大殿に嘆願せねば事は済まぬぞ。このままではきっと後のお沙汰、切腹となるのは知れたことじゃ」
「もし大殿がそれをお聞き入れなかったら何とするぞ」
そうしたあちこちの話の間を作左は無表情に縫っていって、石川太郎左衛門に家康のお召しを伝えた。
広間は暗く夜になりかけていた。

「徳川家康 (七) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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