もはや築山御前が、減敬や大賀弥四郎に利用されたことは疑うべくもなかった。 (油断であった・・・・) 信康は急いで玄関へ歩きながら、今さらのように母を哀れみ、自分の不注意を悔いていった。 あらぬ風評は再三耳に入っていた。 しかし謀反など、大それた事のできる母ではないと知っているので、いつも、一番痛いところに触れるのは無慙
、労わって来たのが逆な結果になっていった。 武田勝頼はまた力を盛り返して、隙あらばと駿遠二州へ挑みかかっている。こうしたときに、誓書だの請け書だのが出て来たのでは、自分はともかく母の御前は救いようのない事になりそうだった。 築山御殿を出て、本丸へ向う途中、小雨の中に平岩七之助親吉が、髪も肩もぬれるに任せて立っていた。 わずかな間に、めっきり年取ったやつれ方で、眼に大きなくまができていた。 「若殿・・・・」 親吉は信康が近づくと、 「あれをご覧なさりませ」 と、木の間ごしに大手門の方を指した。 信康はギクリとした。家康がひきつれて来たらしい軍兵が門を固めて立っている。 「親吉、あれは何としたことじゃ」 「若殿・・・・決して大殿におさからいこれなきよう」 「うーむ。では父上も右府さまお言葉を真にうけられたのか」 「はい、いや、それ以上に苦しいご胸中・・・・まず広間へおもむかれてご対面なされませ」 信康は急にムラムラと激しい怒りを覚えていった。 (現在血肉を分けた子が信じられぬのか) その不満が熱湯のように胸にあふれてくるのである。 その怒りは大玄関でさらに加わった。 「若殿、お太刀を」 そこに立っていて、佩刀
を取り上げたのは榊原小平太だった。 「うぬッ・・・・」 と言いかけて信康は親吉をふり返った。親吉の眼は哀願するように信康にそそがれている。 「そうか、予は父上に、もうこの城を取り上げられてしまったのか」 「大殿が、お待ちかねでござりまする」 信康が大広間へ入ってくるのを家康は、正面の上段から氷のように見おろしていた。 「お父上、お出迎えもいたさず・・・・」 信康はその父を睨みあげるようにして坐ると、こんどは不意に言いようもない悲しみに襲われた。 一座はシーンとしてしわぶきする者もない。上座に坐っていた本多作左衛門が、半ばひとりごとのように、 「本日より、当岡崎城の留守、この作左が仰せつけられました」 そう言うとはじめて家康は口をひらいた。 「三郎信康、その方儀、今日限り、この城を追放、当分大浜にて謹慎申しつくる」 あらゆる感情をおしころした巨石のような言葉であった。 それを聞くと信康はカーッと眼を剥
いて父を見上げた。 |