平岩七之助親吉は、あのまま浜松の城にとどまって、安土へおもむいた酒井左衛門尉忠次と奥平九八郎の帰りを待っていた。 甲州勢はあれから間もなく、まだ徳川勢を早急に撃破し得ないとさとって、いったん駿河から引きあげていった。家康はその機会を巧みに捕らえて、すぐさま、小田原の北条氏へ密使を送り、今川氏の旧領を、北条、徳川の二氏で分配しようと外交交渉を始めているらしかった。 織田家との間に一つの危機が訪れかけている。そうしたときにもし勝頼から信康を狙われてはと、心痛をかくして画策してゆく家康が、親吉にとってはたまらなく悲しいものに見えた。 今日もその指図やら、戻って来た隠密
の報告やらで、家康の居間へは朝から接見の来客が続いている。 それらの客のとぎれるのを待って、親吉は、また家康の前へ出ていった。 「大殿、お考えはまだ決まりませぬか」 すでに季節は盆を過ぎていたが、今年の暑さは執拗
だった。肥満して来た家康の首筋すじには、あせもが赤くただれかけている。 「七之助か」 ようやくほっと一息した感じで、家康はふところの汗を拭きながら、小姓たちをさがらせた。 信康の事となると、まだ表立っては家臣に何も聞かせようとしない家康だった。 「左衛門尉どのの帰りが遅いは、事のうまく運ばぬ証拠と存知まする。このうえは、強
ってこの親吉のお願い、お聞き入れ願わしゅう存知まする」 「待て待て、いま汗を拭いてからじゃ」 言いながら家康は、 「おぬしも不運で気の毒だった」 と、しみじみ言った。 親吉は、忠次と信昌が、ハッキリ信康の助命を拒絶されて戻って来る前に、自分の首を持たせて本多作左衛門か、石川
家成 を信長のもとへと遣わしてくれと、再三、再四家康に願い出ているのであった。 「右府さまのご不審が、たとえ何ヶ条ござりましょうとも、それは若者に有り勝ちな過ち、みな傳役
としてつけられて来たこの親吉の罪でござりまする。右府さまも、この親吉の首をご覧ぜられたら、必ず、お命までとは申しますまい。時遅れてはなりませぬ。何とぞお願い、おきき入れのほど・・・・」 「七之助」 家康は、汗をふきおわると、両手をついている親吉から眼をそらすようにして、 「わしわの、おぬしの切腹は許さぬことにしたぞ」
と、軽く言った。 「えっ!? それは、なぜでござりまする」 「わしは武将じゃ。わしのために斬られる者、生命を落とした者が無数にある。分るかの七之助・・・・そのわしが、わが子の命を助けたさに、六歳の人質のおりから、熱田、駿府と、ずっと苦楽を共にして来たその方を、切腹させたとあっては、明日から神仏に手を合わされぬ。のう許してくれ。こなたの心根に、両手を合わせて泣いているこの家康・・・・無理はもう言わずにおけ」 そういわれると、親吉はふいに全身を固くして号泣しだした。 |