家康はやがて居間へ忠次を呼んだ。 近習小姓はみな遠ざけられて、ただ一人同席を許されているのは家康の婿の奥平九八郎信昌だけであった。 忠次は、これも眠れなかったと見えて、瞼を重たげに、冴えない表情で坐ると同時に嘆息した。 「忠次。そちはご苦労じゃが、もう一度安土へ使いしてはくれまいか」 「は・・・・」 忠次は怨めしそうに家康を見上げて、すぐまたその眼を伏せてゆく。 「こなたたちが聞いてきたことゆえやむを得まい。差し添えには、忠世は代わりに、これなる九八郎をつけてやろう」 九八郎信昌は軽く頭を下げてじっと忠次を睨んでいった。 信昌もまた忠次を歯痒がっているのがよく分った。 「かようなことになるとは知らずにの、わしは信長どのに差し上げようと思うて、馬一頭を用意してあった。奥州からはるばると売りに参った信長どのの気に入りそうな栗毛
の四歳駒での、これを曳いて両人でおもむき三郎がために弁疏
してやってくれまいか」 「仰せながら・・・・」 と、忠次は視線を泳がせ、 「もし万一、信長公、おききいれなきときはなんとなさるご所存か、それを承って置きとう存じまする」 「忠次・・・・」 「はいッ」 「こなたらしくないことを申すではないか。こなたは、信長どのが強ってと申されたら、わしが一戦するとでも思うているのか」 「はい・・・・いいや、そうは思われませぬゆえ・・・・」 「わしがこなたたちを遣わすのは重々不肖の子ながら、父の身になれば不憫
でならぬ。向後は充分、わしも、そちたちも過
ちなきよう心するゆえ、小城へなり移して助命を計ってやりたいのじゃ」 「はいッ」 「もしそれが、そちの口から言いにくくば、わしはまだ何も知らぬことにしておいてもよいぞ。そちたちが浜松へ帰ってみると、何も知らぬわしが、信長どのへ進上する名馬が手に入った。もう一度すぐに曳いて行くように・・・・そう命じたと言うがよい。何も知らずに浮きうきとしているゆえゆい言いそびれた。何とぞいま一度、三郎がこと考え直しては下さるまいかと言うもよい。相分ったか、わしの心が」 「はいッ」 忠次はそう言ったあとでもう一度、苦渋に満ちた表情で押し返した。 「それでもなお、信長公、お聞き入れないときは・・・・」 忠次はいったん言い出した信長が、忠次の弁解などに耳を貸すものかと考えているらしい。 それが分ると、家康は、ぐっと怒りがこみ上げた。 「そのときには、お受けするよりないと、始めから申しているのが分らぬのかッ」 「はッ」 「急いでゆけ。曳いてゆく馬はすでに九八郎に命じて用意させてある。そちとて子供は持っていよう。とこうの思案は途中でせよ」 「かしこまりました。ではすぐに引き返して参りまする」 「九八郎、よいか。おぬしは何も知らぬでよいぞ。ただ、馬を届けに参った体
にいたせ」 二人が立ってゆくと、家康はまたぼんやりと考え込んだ。 |