その夜家康は早目に寝所へ引き取った。冷静であろうとすればするほど、あわただしく胸を揺さぶる感慨があった。 信長の心は底の底まで見抜いている気でいながら、今までまさか
と思うていたのが油断
であった。 細かいことは徳姫が書き送ったのに違いなく、徳姫と築山どのを、同じ岡崎へおいたのも手落ちであった。 それでなくとも嫁と姑
。それが一方は今川の血縁であり、一方はそれを討った織田氏の姫だったのだ。 それに信康の場合にしても、自分から先手を打って、 「── 三郎めの増上慢が眼に余りますゆえ、岡崎へは城代を置き、あれはどこか重要ならさる小城に移しとうござるが・・・・」 そう言い送ったらあるいは逆に信長は、三郎を弁護して来ていたかも知れなかった。信長にはそうした性癖が確かにあった。 重臣どももこの場合歯痒
かった。 みな武勇では衆に優れ、実直、律儀で他人には譲らなかったが、外交手腕、政治手腕となると不得手で、そうしてことを武士からぬことと毛嫌いし、口をつむぐ欠点をもっていた。 大賀弥四郎の場合もそうであったが、こんどの場合も家康が初めて耳にすることが幾つかあった。 (これは、われらが大きゅうなると困ろうて・・・・) 考えて来て、家康はハッと自分を反省した。愛児を見舞ったこの不運のために、狼狽して、家臣を怨みそうな自分に気づいたのだ。 臥床
に入ってもなかなか眠りつかれなかった。 朝方になって雨になり、しきりに空で雷神が鳴りさわいだ。 そのころから家康の枕はしっとりと濡れだした。 さまざまな想念の去来を超えて、やがてわが子の不憫
さだけが、ひしひしと全身を締め付けて来るのである。 「三郎め、なんでそちは、もう少し用心深く生きなかったのじゃ」 わが子の愛に逆上し、ここで信長と無謀な一戦を試みることなど思いもよらなかった。 それだけにまたしても無念さが五体の血を騒がすのだった。 どうせ助ける手段のないものならば、 「──
三郎めに、不都合がござったゆえ手討にいたしました」 そう言って生首を安土へ送ってやりたい気さえした。 雷雨があがると、もう窓は白くなっていた。 ついに家康は一睡もせずに起き出してしまったのだ。 宿直
の小姓が、あわててやって来ると、 「庭を歩くのじゃ。来るに及ばぬ」 言い捨てて家康はそのまま一人で外へ出た。濡れた土、清々
しい朝、海上の空がほんのりと色づいて手前の松の梢がくっきりと澄んで見えた。 家康はその空に向かい、しばらく眼
じろぎもしなかった。 短い人生と永遠の対決。自然の偉大さと人間の小ささ。 (そうだ・・・・) と、家康は、自分自身に言い聞かせるように口の中でつぶやいた。 (三郎のために、わしは意地を捨てて信長どのに詫びてみよう。それが素直な親の心じゃ) だんだん東の空の紅が加わり、やがて家康の肩のあたりで、早起きの小鳥の声が聞こえだしていた。
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