〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part [』 〜 〜

2011/07/25 (月) 落 雷 (六)

忠次と忠世はいぜんとして肩をおとしている。列座の者の憤怒はいよいよ加わり、
「忠次どの、それでこなた様は、若君のために何と申し開きなされて来たのじゃ」
詰め寄るように訊く者さえあった。
「それが、みな事実ゆえ、嘘だとは言えなんだ」
「これはしたり。たよえ事実であろうと、その場合黙っていられる法はない。大半は、覚えてござらぬことと押し返すが、おとなの役目ではござらぬか」
「さよう、相手の申し条を、黙って承って来るだけならば、重臣でのうて、足軽小者でもよいことじゃ。立派なおとなが、二人揃うて、そのまま引き退がられるとは口惜しいことじゃ」
みんなの憤激がだんだん加わって来るので、つい忠世は口をつぐんで答えなくなっていった。
家康はまだじっと脇息きょうそく の端をつかんで身動きもせずにいる。
だんだんあたりは暗くなった。たそがれが迫って、風が納まり、逆に潮騒しおさい の音が遠く近く耳につきだした。
「殿! 御前のことはとにかく、若君の事ばかりは一戦してもお受けは出来ぬと、すぐに使者をたてられませ。行き手がなくば、この作左が参りまする。謀反にはかかわりないと信長めも言っているし、さすればこっちの出方次第で、向こうも納得いたすわけ」
しかし家康にはそうは思えなかった。
「信長どのはな、岐阜から安土の新城に移る時、裸で行かれたお方じゃ」
「裸が何でござりまする。向こうでも、こっちで強く出るのを予期しているのかも知れませぬ。三郎さまは、婿でござりまするぞ」
「いやいやそれは違うようじゃ」
家康はゆるく首を振った。
「裸で新城へ移られた。その決心を見逃してはならぬ。これは向後こうご 、天下人として行動せよ、小さな国持ち大名ではないぞと、自分の心に誓いを立てた、きびしい意味の裸に違いない。そのきびしい眼で見直すと、三郎はまさに、信長どのの不安に思されるとおりの男・・・・不肖の子じゃ」
「じゃと言って嫡子をむざむざ他家の指図で」
「まあ待て、今しばらく」
家康はそれからはじめて気がついたように、
「忠次、忠世、さがって休め。予も今宵こよい 一夜よく考えてみるとしよう」
「はいっ」
「しかし、人生はおかしなものよのう」
「と、仰せられますると」
「今まで考えてもみなんだことを、今日ちらりと考えた。信康からこんどの赤子まで四人並べてみなと共に能でも見ようか・・・・ふとそう思ったら、もう一人に魔がさしている」
「・・・・」
「よいか。わしはどうするかを、今夜ひとばん考えよう。が、そちたちは、決して信長どのを腹黒いとばかり思うでないぞ。おそらく信長どのも心の中では泣いてござろう。わしにはそれが分る気がする。愛しい姫の婿として、大事のためには用捨は出来ぬとなあ、そして向後こうご の憂いをなくしておいて、中国の平定に向わねばならぬと考えてのことであろう。それゆえ早合点はならぬ。軽率もならぬ。わしの思案が決まったら、みんなそれに従うてくれねばならぬぞ。よいか」
あちらこちらで、言い合わしたように鼻をすする声がわいた。

「徳川家康 (七) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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