「第五は・・・・」 と言って忠次は、そっと拳で眼をぬぐった。 広間のうちはさほど暑くはなく、ときどき涼しい風が吹きぬけてゆくのだが、忠次の背にはぐっしょり汗がとおっていた。 「若御台徳姫さまに、つづいて姫君のご誕生あったを不快に思われ、男子を得るためとて妾をおき、事ごとに若御台を折檻
なされたこと・・・・」 「次は」 「若御台つきの腰元小侍従が、三郎さまに諌言したをお怒りなされ、斬り捨てたうえに両手をもって口を引き裂きましたること」 「次は」 「築山御前についてでござりまする。その一ヶ条は、勝頼に密書をもって内応し、織田、徳川の両家を滅亡なさんと計りしこと」 「もうよい!」 聞くに堪えなくなって家康はさえぎった。 「御前が謀反
を企てていたというのであろう」 「は・・・・はい」 「織田どのは、それに信康が同意をしていたと申したのか、それとも信康はかかわりないと申したのか」 急き込んで訊いてゆきながら、家康は自分で自分に腹が立った。 ここまで言われたのでは、何を言ってもしょせん愚痴であった。 信長は、三河の機嫌も取らなければならなかった尾張美濃の国主から今や、天下を治めねばならない責任ある人間に、立場を変えて来ているのだ。 以前の信長は徳川家にとって尾張の親類であり、美濃の親類であったが、今では天下人、そうした立場で臨んで来たのに違いない。 天下人としての信長の眼から見ると、岡崎の三郎信康は、性格も、血筋も、行跡も、頭脳、力量も、はなはだ好もしくない人間に映じていったのだ。 勇気分別では武田勝頼に劣り、血筋では織田家を仇敵と狙う今川氏の血をひいている。 行跡には粗暴の行い多く、重臣からも領民からも思慕されるに至っていない。 その信康が万一、父の家康と不和になり、武田勝頼とでも結ぶようなことがあったら、それこそ三河以東の日本の秩序は、収拾し難いものになろう。それらの事を詳細に検討したうえで、切腹させよと言い出したのに違いなく、言い出すとあとへ引かない信長の性格だった。 「三郎さまは、御前の謀反には関係ないと、申されました。関係はないが、御前に泣きつかれると、情に溺れるおそれがある。万一のことがあっては、徳川どのの九仞
の功を一簣 に虧
くゆえ、わしに遠慮せずに切腹させよ・・・・そう仰せられました」 「なに、わしに遠慮せずと・・・と、言われたか」 「はいッ」 「そうか、そう言えば、三郎は信長どのにも可愛い婿であったはず・・・・」 家康が暗然としてつぶやくと、それまでこれも眼を瞑
って聞いていた作左が、 「殿!」 とひと膝すすめて来た。 「何となされまする。まさか素直にお請けはなさりますまいな」 「お請けせずにどうなりのじゃ」 「一戦いたす。一戦いたすと言わなければ、三郎さまのお生命は救われませんぞ」 「待て。急ぐな作左」 家康は作左衛門をおさえて、また深沈
と考え込んだ。 |