雲が長篠城の東、竜頭山の頂
から千切れ千切れに流れ出した。 その下であるじを失った馬が思い思いの方向へ狂奔
していったり、立ち止まって草を喰んだりしている。 屍体はそこここの草の根に累々とうつぶせて倒れていた。 もはや、一人一人が名乗りあって斬り結んだ姉川の合戦のときのような風景はどこにも見えず、戦の様相は全く集団と集団の激突に変わり、激突した瞬間にまちがいなく千挺ずつの鉄砲が火を噴いて、用捨なくその勝敗を決していっていた。 三番手の小幡上総介信貞が、赤ぞろいの騎馬武者をまたしても馬防柵の前へ落花のように散らして退くと、四番手の武田左馬助信豊の軍勢が動き出した。 これは母衣
も具足も黒で固めた一隊で、鉄の集団のように結束していた。 相手に鉄砲がなければ、おそらく勝頼の従弟は、その武名をこのあたりに轟
かしていたに違いない。 最右翼に控えた馬場美濃守信房は、このときはじめて金鼓を鳴らして雁峰山の麓
から織田勢の左翼めざして動き出した。 織田勢はこれを見ると、すぐ足軽の一隊をくり出して、また、柵の前まで誘き寄せようとかかった。 しかし信房は、この織田勢をみとめると、すぐ進撃を中止して、使い番を呼び寄せた。 「その方は、真田源太左衛門信綱
どのと、兵部 昌輝
どの、それから土屋 右衛門尉
昌次 どのの陣まで使いしてくれ」 まだ若い使い番の上田
重 左衛
門 はそのとき信房の頬に澄みとおった微笑のあるのを身とった。 「仰せ、かしこまって」 「よいか。わしは考えるところあって、これより兵を前に進めぬ、ご貴殿たちは進んで手柄されるようにと」 使い番はふっと首をかしげて訝
しんだが、そのままうなずいて駆け去った。 こうして、左馬助信豊が柵面へ激突してゆくころに、五番手の魚隣備えの中からはずれて真田兄弟と土屋昌次の一隊がこれまた敵の左翼に猛然と襲いかかった。 もはや生還は三人の念頭にはなかった。 彼らは、柵ぎわで一斉射撃を浴びたが、立ち止まりも引き返しもしなかった。 第一の柵は破られ、相手の弾丸の弾込めする間に第二の柵に殺到した。しかし柵は三重だった。第二の柵を破って、三番目の柵にたどり着こうとする時に、まず兄の真田源太左衛門が、虚空をつかんで馬から落ちた。 と同時に北方の森長村から迂回してきた柴田修理勝家、羽柴秀吉、丹羽五郎左衛門長秀の遊撃隊が、真田兄弟と土屋昌次の一隊に襲いかかった。 ここでも鉄砲は突撃路を開く有力な先導者だった。ダダンとあちこちの草むらから煙が上がって西に流れた。 そして、第三の柵にとびかかった真田勢と、土屋勢はそこで全く潰滅してしまっていた。 もはや土屋昌次の姿も真田昌輝の姿もない。 ただ馬場信房だけが、この光景を、森かげに馬をとめて、非情な眼でじっと見ていた。 |