いまは勇ましい押し太鼓のひびきも、法螺
の音も消えていた。 「引き揚げろッ!」 と、誰かの叫んだ時には、大久保勢は槍の穂尖
をそろそろ柵外へ押し出していた。 「一人ものがすな。これはわれわれの戦ぞ。三河武士の戦ぞ。のがすな」 手も足も出ないとはこのことだった。 勝頼の代に至って、信玄の時代をなつかしみすぎた武田勢は、戦術の面においてもまた信玄時代そのまま踏襲
していたのだ。 その間に武器は刀から槍に、槍から鉄砲に移っていた。 山県三郎兵衛たちが、それとなく、甲斐へ引き揚げるが上策と考えたのは、この両者のひらきをある予感で感じ取っていたからではあるまいか。 茫然
としている山県勢に、大久保党は決定的な追い討ちをかけていった。槍隊につづいて、こんどは鉄砲の狙い撃ちであった。 三郎兵衛はしかしまだその時には討ち死にしていなかった。 彼はもはや死が、はっきりと自分を捕らえているのを感ずると、退却する兵を、そのまま隣の佐久間信盛の陣に挑ませた。 跡部大炊助の言葉によれば、佐久間信盛は信長を裏切って、必ず勝頼に味方するはずであった。 三郎兵衛はむろんそれを信じてはいなかったが、万が一・・・・・という期待はどこかにあった。 と、その迷いを砕くように、佐久間の陣の奥からもまた千挺の鉄砲が火を噴いた。 信長は三千の鉄砲隊を三つに分けて、千挺ずつ、次々に弾込
めさせて、つるべ射ちの出来るように備えてあったのだ。 こんどは三郎兵衛の姿は馬上になかった。 彼は彼の予感どおり、設楽
ケ原 の朝露の中へ晴れがましかった戦歴と共に、小さな死屍を横たえていったのである。 こうして山県隊は死人の山を残して、潰滅
し去った。生き残って退いた者は一割あるかなしだった。 陽はすでに高くなった。 山と空と森と旗とが、白々しいほどかっきりと見得て来た。 武田勢の二番手が動き出した。 二番手の大将は、今は亡い、信玄に生き写しの舎弟
、逍遥軒信廉 だった。 彼はほとんど感情を他人に見せない、巨巌のような表情で、 「押せッ!」 と、いうと、そのまま馬を進めていった。 押し太鼓がまた、たくましく鳴り渡り、織田勢の丹羽長秀の陣めがけて、騎馬の波は再びどうと押し寄せた。 柵内では鳴りをひそめて待っている。 やがて先頭が馬防柵にとりついた。 と見ると、三度目の硝煙があたりをつつんだ。 信長は
「練りひばりのようにあしらってやる」 と豪語していたが、まさにそのとおりであった。 千挺の鉄砲は、またしても逍遥軒の部隊の半ばを一度に倒して、柵木一本失ってはいなかった。 「退けッ」
前と同じ表情で逍遥軒は茫然としている部隊をまとめて引き下がった。 もはや勝敗は誰の眼にも決して見えた。それなのに、戦魔はまだその触手
を引こうとしない。 生死を超えた悲しい意地で、三番手の小幡上総介信貞の陣からとうとうと進撃の太鼓が鳴り出した。 |