強右衛門の頭は決して鋭敏に働く方ではなかった。あるいは常人より緩慢
なのかも知れない。 しかしその緩慢な働きの中から 「これが正しい」 と事の核心をつかみとると、決断はすばらしく早かった。 彼は彼なりに勝頼の意志も、穴山玄蕃頭の立場も、そして自分の置かれている地位も、それぞれやむないものとして受け取れた。 勝頼は噂ほどみごい大将ではなかったと思い、穴山玄蕃頭はよく現実を見通し、よく計算していながら、一つだけ計算違いをしていると思った。 それは鳥居強右衛門という男が、自分の生命を助かりたいために、味方を裏切ることなどできる男ではない・・・・という、たった一つのことを見落としている。 (それでよいのだ・・・・) 強右衛門は河原弥六郎に縄尻をとられて、また強い陽射しの中を城の北側から本丸のやぐら下に曳かれていった。 もはや敵味方の陣は接近し、どちらから眺めても相手の人相まで見とおせる。そうした近さに、一人の人足姿の男が、縄尻をとられてやって来たのを見て、当然城内の視線はそれに集中した。 「あ、強右衛門だ!」 「鳥居どのが捕らわれてひかれて来たぞ」 それは瞬間に城内へ大きなどよめきをまき起こした。 あちこちの窓に、木蔭に、石垣に、城内の人々の精悍
な顔がのぞいていた。 今朝雁峰山へあがったのろしを見て、 「援軍はやって来る!」 一様に気負い立ったときだけに、その連絡をつけてくれた強右衛門の捕らわれる姿を見るのは、彼らにとって言いようもない痛恨事であった。 穴山玄蕃頭は、もうそこまでついて来ていなかった。彼はたぶん勝頼に、強右衛門が案外おとなしく、自分の言葉に随
うことを約したので、その報告に出かけたらしい。 「よし、さ、ここでよし」 と、縄尻をとっいぇ来た弥六郎が強右衛門にささやいた。 強右衛門は鈍重というよりもむしろ実直なと言いたい律儀
さでうなずいて、それからしっかりした足どりで物見のよく立つ小高い岩にのぼっていった。 西の空にはほんの少し白い雲が千切れて浮いているだけで、空の青さが、山も人も城も砦も吸いとりそうな大きさに見えた。 「城内の方々に物申す・・・・」 岩の上へのぼると強右衛門は落ち着き払った声で言った。 「鳥居強右衛門、城へ戻ろうとして、かく捕らえられました」 その声で城内へはふしぎな緊張とざわめきが高まってゆく。 「しかし、少しも悔いてはおりませぬ。織田、徳川の大将は・・・・」 そこでちょっと言葉を切って、 「よいかの、すでに四万の大軍を率いて岡崎を発しました。両三日のうちにはきっとご運は開けまする。城を堅固にお守りなされや」 城内にドッと歓声があがるのと、武田方の足軽二人が岩の上へ踊りあがって、強右衛門を引きおろすのとが一緒であった。 強右衛門は縄を引かれて地べたへ転落すると、肩と言わず頭と言わず、踏まれ、蹴られてゆきながら、何か叫びたいような爽快さを覚えていた。 |