「うぬッ、たばかりおったな」 「こうしてくれる」 「よくもよくも」 それらの罵声と足蹴の納まるまで強右衛門に、ぜんぜん抵抗する気ぶりはなかった。 子供たちにもてあそばれる起き上がり小法師
のように突かれれば倒れ、踏まれればじっとしている。 「もうよい。こらッ強右衛門」 しばらく度を失って唇を噛んでいた河原弥六郎が、よういやくみんなの暴行をとめて、強右衛門の前へ立ったときは、強右衛門は頭も顔も泥にまみれて微笑していた。 その眼が憎らしいほど澄んでいるのが弥六郎にはたまらなく、いきなり、縄尻でびしッと斜めに一つなぐった。 「その方、それで、わが殿の好意に対して済むと思うか」 「申し訳ない」 「空々しいことを」 「申し訳ないが、しょせんこれが武士の意地とおぼされたい。貴殿とて、ここでまさか、味方の不利は口にできまい。穴山どのには済まぬことをしたとよくお詫び下され。その代わり、このあとはご存分に・・・・心の済むように・・・・」 「言うなッ!」 もう一度縄尻が鳴ったが、それもまた強右衛門の微笑を消す力はなかった。 騎馬武者が二度本陣との間を往復した。 そして三度目に、強右衛門の前へ運ばれて来たのは大きな角材の十字架だった。 強右衛門はいちど縄を解かれて十字架のくくり直された。 胴と首と両の手と足と・・・・ そして、有無
を言わさず、両掌に大釘を打ち込まれたとき、強右衛門は何ということなしにホッとした。 これで生き甲斐があった・・・・と感じたのではなくて、これで苦痛の終わりが近づいたという悲しい安堵らしかった。 十字架は大勢にかつぎあげられた。 城内でも、このありさまを固唾
をのんで見ているに違いない。 しかし、すでに強右衛門の見得る世界はただ空の青さだけであった。 「これこれ、このような処刑を、お館さまが許されたのかッ」 「許すも許さぬもあるものか。見せしめじゃ、見せしめじゃ」 そうした声が耳に入ったが、それももはや自分と無縁の世界の声に聞かれた。 やがて十字架は立てられた。 そこがどこかを知ろうとして、ふと勘を澄まそうとしたときに、両腋の下から槍の穂先が交互に両肩へ抜けていった。 「ウウウ・・・・」 強右衛門はいちどに視野が暗くなり、ガーッと耳が鳴り出した。 と、耳鳴りの底で誰かしきりに何か言っている。 「あいや鳥居どの、お身こそはまことの武士、お身の忠烈にあやかるために、ご最期の様子を写し取って、旗印にしたく存ずる。かく申すは武田の家臣、落合
左
平次
、強右衛門どのお許し下さるか」 強右衛門はそれに笑って答えようとしたが、もはや声は出なかった。 相手の武士は矢立を取って懐紙に強右衛門の最期を写している。 場所は有海ヶ原の山県三郎兵衛の陣屋の前で、すでに夕陽が血潮の紅を反映しだしたころであった。
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