「なに、奥平の家臣だと・・・・」 穴山玄蕃頭はつかつかと強右衛門のそばに歩み寄って、 「その方、人足にまぎれて城へ入ろうとしたのだな」 「入ろうとしたのではない、戻ろうとしたのだ」 強右衛門は額の汗にギラギラと陽を受けて、だんだん眼光を鋭くしていった。 「あと一両日で落つる城へ、何のために戻ってゆくのだ」 「あと一両日・・・・」 強右衛門はニヤリと笑いを頬にきざんで、 「落つるものかこの城が。一両日のうちには、織田、徳川の連合軍四万がやって来るわい」 穴山玄蕃頭は思わず息をつめていった。 「すると、今朝、雁峰山でのろしをあげたのはその方か」 「今朝だけではない。十五日の朝もあげたわ」 「その方、援軍を乞いに城を抜け出して参ったのだな」 「ハハ・・・・」
と強右衛門は笑った。 「援軍を乞いに行ったのではない。援軍がどこまで来たか、それを確かめに行んで来たのだ。そして織田のお館にも浜松のお館にも会うて来た。そのことをのろしで知らせたゆえ、城内の様子が違うて来たのに気がつかぬか」 「弥六郎!」 穴山玄蕃頭は強右衛門から眼をそらすと河原弥六郎へ鞭のような声を投げた。 「この者を本陣へ引っ立てろッ。わしもゆく。逃がすなよ」 「心得ました」 強右衛門はもう少しもさからおうとはしなかった。相変わらず、半ば笑っているような不敵な面魂で、玄蕃頭のうしろから後ろ手のまま馬に乗せられて、かっかと照りつける陽射しの中を勝頼の本陣へひかれていった。 (とうとうつかまった・・・・) 捕まったときには、どうしてやろうかと、あれこれ考えたことはあったが、ふしぎに、それらの事は頭に浮かばず、何かひろびろとした青空の中へ抛
りだされて浮いているような気持ちであった。 勝頼の本陣はざわめき立った。 あれだけ厳重な囲みを破って城を出た者があったという驚きに、織田、徳川の連合軍がいよいよ長篠救援にやって来るという驚きが重なり、それはまたたく間に大将から雑兵の間にまで噂の渦を広げていった。 勝頼は仮り屋の庭先へ強右衛門を据えさせて、しばらくじっと汗が塩になって結晶している四角な顔を見つめていた。 「鳥居強右衛門と申すか」 「仰せのとおり・・・・」 「その方は、小気味のよい男じゃの」 「お褒めにあじかってかたじけなく存じまする」 「この重囲を破って使いし、しかも城へ戻ってみなと生死を共にしようとした、その性根、敵ながら見上げたものだ」 「恐れながら、それではお褒めが過ぎまする。奥平家の家臣には、それがしほどの者は箒で掃くほどござりまする」 「分った。その言葉もよい。穴山、この男をこなたに預ける。労わってとらせよ」 思いがけない勝頼の言葉を聞いて、はじめて強右衛門はゆっくりと首を傾げて考えだした。 「立て!」 と、玄蕃頭がいぜん鋭い声で言った。 |