翌十七日── 医王寺山の武田勝頼の本陣を出ると、穴山玄蕃頭
(梅雪) はうかぬ表情で、自分の陣屋に馬をすすめていた。 いぜんとして、勝頼は、この長篠城にこだわりつづけている。 この小城ひとつを落としてみたところで、戦略の上からは大した意味がない。それよりも一部をここへ残して、すぐに、岡崎か浜松を衝
いた方がよいと、すすめるのだが、大賀弥四郎との密約の蹉跌が、勝頼をすっかり頑固にしてしまった。 「── この小城ひとつ落とせなかったと言われて、天下に号令がなると思うか・・・・」 たとえば、ここへ徳川、織田の両主力がやって来て、ここで決戦が展開されても不利ではないと言い張った。 (反対するほど意地になるのだ・・・・) 中には、そっと小声で、 「──
これで武田家も終わりでござるな」 そんなことをささやく者まで出て来ているのだが、なにしろ家宝の旗を持ち出されてしまっているので、誰も表面から強諫
はできなかった。 玄蕃頭は城の南岸、武田逍遥軒の右にある、わが陣屋の前で馬を降りると、 「よく気をつけよ。今朝はまた雁峰山であやしいのろしがあがっているらしいからの」 供をして来た家臣の河原
弥六郎 に手綱を渡した。と、そのときだった。馬を受け取った弥六郎が小首をかしげて立ち止まった。 「これこれ、その方どこの百姓じゃ」 弾丸よけの竹束をかついでゆく五、六十人の人足の中から、一人の男を指して声高に言った。 その声で、玄蕃頭も、入りかけた幕の外へ立ち止まった。 「は・・・・はい。私は有海
村の百姓で、茂兵衛と申します」 が、そのときにはもう弥六郎はつかつかと近づいていって、 「怪しい者が混じっている、引っ捕らえよ」 茂兵衛と言った百姓の襟首をつかんで、引き廻していた。 そばに五、六人の侍が、声の下から百姓におどりかかった。百姓はその二人をあざやかに左右へ投げ飛ばすと、ふところから鎧通しを取り出して、タッと穴山玄蕃に突きかかった。 玄蕃は鞭
を斜めに振って左に避けた。と、うしろから弥六郎が曲者
の足もとへさっと手綱を投げかけ、足をすくわれた百姓は、声を立てずにそのままにめった。その周囲を玄蕃の乗馬が癇立った眼をしてバタバッタとめぐってゆく。 侍たちがその隙に倒れている百姓の上へ折り重なってうしろ手に縛り上げたのはほんの一瞬の出来事だった。 「たわけた奴め。こうした事もあろうかと思うてな。味方の人夫にはみな同じ紺の脚絆
がはかせたるのだ。それを知らずに、うぬのは浅黄ではないか」 弥六郎が肩をふるわしてそういうと、縛られた百姓は、はじめて強く舌打ちした。 「そうか。それは不覚だった」 「うぬは武士だな」 「いかにも」
地べたへ大きくあぐらをかいたまま、その男はうそぶくように言った。 「奥平九八郎は家臣、鳥居強右衛門だ。おれは・・・・」 |