「うーむ」
と家康は強右衛門の庭へ入ってくる姿を、朝靄の中に認めて、かすかに呻
いた。もとどりを藁で結び、膝までしかない百姓の野良着を着ていた。太い股
はむき出しで、足には素わらじがくっつけてあった。 「その方が九八郎の家臣か」 家康のうしろには、いつか酒井忠次も、小栗大六も、本多平八郎もついて来ていた。 「はい、鳥居強右衛門と申しまする」 強右衛門はそう言って、血走った眼で家康を見上げたが、家康はわざと何の感動も面に見せなかった。 「予はその方を知らぬ。待て、これへ奥平貞能を呼ばせよう。万千代、貞能を起こして来い」 奥平美作は織田勢とともに城へ戻っていて、いま三の丸に起居していた。 そこまで起こしに行って、戻って来るのには時間がかかる。強右衛門はじりじりした様子で、体をよじり唇をなめた。しかし、、家康はじっと眼を強右衛門に据えたまま石のように動かなかった。 やがて美作があたふたとやって来た。 「おお強右衛門か。ご苦労であった。お館!
この者確かに伜 が家臣に相違ござりませぬ」 強右衛門は美作を見ると、カーッと大きく開いた眼からポトリ、ポトリと涙を落とした。 「よし、使者の口上、直接聞こう。申せ」 「それ、お許しが出たぞ強右衛門」 「はいッ、申し上げまする」 強右衛門はそう言って、ぐっと息をきってから、 「瓢
曲輪を奪われて城の食料あと三日分にござりまする」 それだけ言うと、唇を一文字に結んで黙ってしまった。 「口上はそれだけか」 「はい。それだけ申し上げれば前後のご判断はお館さまがなさる。よけいなことを申してご判断の邪魔になると、きびしく申し付けられました」 「うーむ」
と家康はもう一度呻いて、ちらりと縁に控えた美作を見やった。美作は泣くまいとして、しきりに明けかけた空を睨んで膝をつかんでいる。 「小気味のいい口上だの。そうか九八郎はそれだけしか言わなんだか。では予からたずねる。その方は何として敵の重囲を抜けて来たぞ」 「大野川の川底を歩いて来ました」 「河童のような奴め。それで脱出できたことを城内へは何で知らせた」 「はいッ、雁峰
山からのろしをあげて知らせました」 「九八郎も、弥九郎父子も、三郎次郎もみな無事か」 「はい、土を煮、膝をそいで喰ってもお館さまのお指図があるまで、城は敵に渡さぬと気負い立っておりまする」 家康はまたちらりと美作を見やり、両脇の家臣を見た。 「よし、分った。腹が空いているであろう。湯づけをとり、着物をかえて休むがよい」 「恐れながら、その儀はご無用に願いまする」 「腹は空いておらぬと申すか」 「城内ではおそらく、後日に備えて、粥
というも名ばかりのものを啜
りだしておることと・・・・それゆえ強右衛門も、このまま引き返し何とぞして城中へ立ち戻って、苦楽を共にいたしとう存じまする」 「そうか。なるほどのう・・・・」 そういう家康の眼もいつかうるみだしているようだった。
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