〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part [』 〜 〜

2011/07/20 (水) 決 戦 前 夜 (一)

鳥居とりい すね もん が長篠城を忍び出たと同じ十四日の夜。家康は岡崎城へ入って酒宴を開いていた。
むろん、それは岐阜からやって来る信長を待ち、その進路を警戒しておくためであったが、この酒宴の時には、まだ信長が果たして岐阜を出発したかどうかはわかっていなかった。
家康は必ず来ると信じていたが、重臣たちの意見はまちまちだった。
「来るであろうとは思うが、この前の高天神の時と同じように、わが兵を労さぬことを考えているのではあるまいか」
そう言う者があるかと思うと、
「いや、来はすまい」
と、はっきり悲観論を述べる者もあった。
「織田家の兵は、数でこそ武田家に立ちまさっているが、新参者が多くて実力はござりませぬ。それに戦場が長篠という山岳地帯では、いよいよ織田勢にとって不利、その計算の分らぬ信長公ではない。おそらく来はすまい」
こう言われると、そんな気もすると見えて、はじめは強引に、単独で長篠救援を主張していた者までが、沈鬱ちんうつ に考え込んで行くのであった。
士気、流行のたぐいほど、およそ剽軽ひょうきん なものはなかった。誰かが強がったり、どこからか流行しだしたりすると、さしたる意味もないのに昂然と盛り上がるくせに、その反対の場合は、これもまた意味もなく悄然しょうぜん と消えて行くものであった。
家康が戦の最中に酒宴をやることは珍しかった。が、大勢悲観・・・・と見てとると、
「案ずるな。必ず来る。それより今宵は一献いつこん 汲もうか」
と、言い出したのだ。
「必ず参ると、お館は、言い切れますか」
酒宴くらいではまだ士気は振るわぬと見てとった本多平八郎が口添えした。家康はいかにもおかしそうに笑った。
「この におよんで出て来ぬような織田どのならば頼るに足らぬ。頼るに足らぬということは恐れるにも足らぬということじゃ」
「恐れるに足らぬとは?」
「長篠はひとりで救うておいて、尾張美濃といただける道理ではないか。織田どのはそのように事理の分らぬお方ではない。妄想せずに一献傾けよ」
そう言ったあとで、ともすれば悲観論にくみしそうな酒井忠次に、
「これ忠次、こなた自慢のえび すくいでも踊らぬか」
と、明るい声で命じていった。
「殿!」
「なんじゃ」
「殿は、万一織田勢が来ぬ場合は、徳川勢だけで長篠へおもむく決心でござりまするな」
「決まったことを訊くものではない。高天神のときは小笠原め、きっと敵に降ると見てとったゆえ動かなかったのだ。奥平九八郎ほどの勇士を見捨ててなるものか」
「では、長篠へおもむいて、確信ありと言わせられまするか」
「知れたことだ。兵の強弱は大将次第。信玄の兵が強かったとて、勝頼の兵も強いと思うな。まず躍れ、忠次」
家康がそう「言って盃を口にすると、忠次はすっくと立った。
「躍りまする! これで腑に落ちたゆえ、思うさま踊りまする」
「徳川家康 (七) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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