人間の心の底には、つむじ曲がりの虫がすんでいる。この虫は、いったん覚悟の決まるまではおかしいほどに
「死」 を恐れる。 しかい、その 「死」 に何ほどか、うなずける理由を見出すと、こんどは放胆になり過ぎた。 生死一如などと悟りすましたことを言って、充分に生き得るときにさえ死をとらせようとするものだった。 武田逍遥軒の手勢が野牛門の外の激流を渡ろうとしているのを発見した時の奥平勢がそれであった。 「殿、いよいよ仕掛けて来ましたぞ」 本丸の玄関前に張られた幔幕の中へ、そう知らせに来たのは奥平次左衛
門 勝吉
、 「われら手勢をすぐって河原へ降りて、敵に一泡ふかせましょうか」 九八郎は叱る代わりに眉根を寄せた。 「次左衛門、おぬし、気は確かかの」 「なんと仰せられます? われらは、まず敵の荒肝をとりひしごうかと申したまでで」 「黙らっしゃい!」
九八郎は立ち上がって、すぐ野牛門の方へ歩きだしながら、 「正面の絶壁は高さ二十間、それを下るまでに、どれだけの犠牲が出ると思うのじゃ」 「戦に犠牲はつきもの、せいぜい十五、六人も失う覚悟ならば・・・・」 九八郎は歩きながらきびしい眼をして次左衛門を睨み返した。 「その方、五百と一万五千の算盤
が出来ぬと見えるの。無駄に一兵を損ずるは、三十人を失うことじゃ。二十人の兵を失うは六百に当たると気がつかぬか、軽々しい出撃は断じて許さぬ。華々
しい討ち死によりも、苦痛の底でねばりぬくことがこんどの戦の勇士と知れ」 次左衛門は黙ってしまった。 「のう、その方ばかりではない。みなにもよくそれを申しておけよ。三十人に一人の戦ゆえ、早まった斬り死には不都合
しごくじゃと」 九八郎はそのまま次左衛門を見返りもせずに野牛門の外へ出たいった。 この日も、二十間目の下の奔流の面は薄く靄
がかかっていた。 川幅はおよそ四十間。 その上手から何かわめきながら続々いかだが馳せ下って来るのが見えた。 「どうやら甲州勢はいかだで川面をうずめておいて渡ってこようという作戦らしい」 「なるほど、あるに任せた大げさな攻めぶりよな」 いったここへいかだの橋がかかるまでに、何ほどの流失を計算しているのか・・・・ そう思っていると、こんどは上流から四はいで組んだいかだが見えた。 (はてな、あれは何をささげているのであろう) 靄の切れ目に眸をこらして、九八郎は思わずポンと膝をたたいた。 (なるほど、これは考えたわ!) それは太い麻縄で作られた巨大な網であった。その太縄の網を川面いっぱいに張り渡し、それでいかだの流失を食い止めようというのであった。 見ているうちに、その網は、次々に降ってくるいかだを鈴なりにとめていった。 九八郎はその作業をまたたきもせずに見つめている。絶対に渡河は不可能と思われていた、その不可能を、はじめから可能にしてみせようというのが甲州勢の作戦らしい。 「殿!渡りだしましたぞ。何としまする」 九八郎のうしろで誰かがはげしい声で言った。
| 「徳川家康 (七) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ |
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