〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part [』 〜 〜

2011/07/19 (火) 緒 戦 (十一)

援軍が城へ入るとただちに軍評定いくさひょうじょうが開かれた。
四人はあちこちにま新しい修理の木のまじった古書院に、九八郎のしたた めた絵図面を広げて協議を始めたのだが、何分にも一万五千に五百の兵では手配りのしようがなかった。
そこで、五度も六度も連れ立って外へ出て矢倉にのぼったり、東西南北を見渡して歩いたりした。
どちらを見ても遠見は山ばかりであった。
「いかにも山は多いが、これをみな敵の陣地にされてはのう」
弥九郎景忠がいうと、
「一万五千あったら、そうなることになろうて」
と三郎次郎親俊も相い槌を打った。
しかし九八郎貞昌はそうしたことを気にかける様子は毛ほどもなかった。
「外がみんな敵兵でうぅまっても、この城へは手が届くまいでの。わしは、この城を捨てて走った菅沼のことを思うとおかしゅうなる」
「そうであろうかの」
「よほどあやつはあわて者であったと見える。まだ五、六日分も食べ物の残っているうちからかぶと を脱いだ」
「五、六日・・・・」
九八郎の言葉をききとがめたのは景忠の子三郎伊昌だった。
「さよう、五、六日分あったら使い方での、優に半月は頑張られる」
そのときだけは九八郎はきびしい顔になってキッパリ、言い切った。
彼が見かけほど無神経でないことは言うまでもなかった。いや、その逆に、一万五千の大軍が押し寄せると知っていながら、わずか二百五十の兵しか割いて寄こさなかった家康の考えを、彼は、彼なりに、きびしく分析してみるのだった。
(これは籠城せよという意味なのだ)
戦いの大勢は城外で決してゆく。したがってそれの決するまでいかなることがあっても、城は捨てるな、こなたと姫のいる城をわれらが見捨てるはずはない ── どこからか力強い自信を込めて家康の言葉が聞こえて来るのだ。
そらだけに、九八郎は、松平親俊にも、景忠父子にも、その覚悟だけは、ハッキリとさせておかねばならぬと思った。
その夜は亀姫も加わってささやかな酒宴が広間ではられた。籠城には何よりも団結が第一だった。
一人の人間の、ふと洩らす嘆息が原因となって、全軍の士気の乱れる場合がしばしばあった。それに新しく加わった指揮者と、奥平家老臣たちの交歓も、水も洩らさぬ密度を保ってゆかねばならない。
双方の引き合わせが済み、ひとわたり盃がまわったところで、九八郎はいかにも朴訥ぼくとつ な調子でこう言った。
「さて、みなの衆、いま戦国に日本で一番強いは甲州勢と言われてござる。第二に強いが三河勢と言われてござる。今度の戦はその誤りを正す絶好の好機と存ずる。城の北には、食して力になる赤土が山ほどござれば、三河の荒武者どもは土を喰って甲州勢を蹴散らしたと、笑い話を残しとうござる」
みんなはそれに答えてドッと笑った。と、今度は亀姫がひょうげた口調であとを引き取った。
「みなの衆、わらわもこの山国へ嫁いだおかげで、赤土の炊き方をおぼえまいてござる。炊き出しはこの姫が先頭に立って勤めまするゆえ、思うさま戦うて見せて下され」
いつか姫は、口調まで九八郎に似て来ている。夫婦の愛情のふしぎな現われの一つであった。

「徳川家康 (七) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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