その日は朝から雨で、野牛門から見下ろすと、左から流れて来る大野川の水がまっかに濁っていた。 そしてその濁流は右手から来る青い流れを抱いて、奔馬
のように馳せ下ってゆくのである。 その川音にさえぎられ、はじめ九八郎は味方の人馬の音を敵がやって来たのかと思い、急いで野牛門のわきのやぐらにのぼってみたほどだった。 「おぬしと力を協
せてこの城を死守せよとお館
の仰せじゃ、城の修理は終えられたか」 九八郎が急いで橋口まで出迎えると、まっ先に立っていた松平
三郎 次郎
親俊 が言った。 「万一のときには籠城せねばならぬ。人数は少ないがよいと仰せられて、総数二百五十人じゃ」 「二百五十人・・・・」
と九八郎はかんたんにうなずいた。 「われらが家の子と合わせて五百。一人が十人ずつ働けば五千に当たられる。かたじけない。さ、とにかく人馬を城に入れて休息下され」 「奥平どの」 つづいて声をかけたのはしんがりから馬をまわして来た松平弥九
郎 景忠
だった。 景忠は自分について来たもう一騎の若武者を振り返って、 「これが倅
の弥 三郎
伊昌 、お身とわれら父子と三郎次郎どの、この四人で指揮をとれとの仰せ、よろしゅう頼みますぞ」 と、馬を降りた。 「これは心強い!」 こくりと頭を下げて九八郎は無神経に笑った。 「これだけ揃えば甲斐の山猿、さんざんからかってやれるわい」 「奥平どの」 「何でござりまする」 「お身はいちど武節に姿を見せた武田勢が、長篠へ向かって進軍中なのをご存知かな」 「いいや、まだどこからも知らせはない。が、もはや、いつ、どこから参っても愕
きはいたさぬ」 「ではその人数も?」 「たとえ五千が七千でも、引き受けて駆け悩ますとなれば同じことでござろう」 「それが五千や七千ではないようじゃが」 「では一万でもおしよせまするか」 「一万五千は超えていようと、浜松への注進だった」 「ワッハッハッハ・・・・」 九八郎があまり大きな声を出して笑ったので、景忠の倅の伊昌はびくっとしてあたりを見まわした。 「五百に一万五千でござるか。これは戦い甲斐がござりまするなあ」 「奥平どの」 「はい」 「これは戦い甲斐ではござるまい。死に甲斐でござろう」 「いやいや」
と九八郎は首を振った。いかにも無神経で、頼もしさというよりむしろ頼りない単純さに見える首の振り方だった。 「われらは徳川家の婿、なかなかもって、このあたりの山城では死にません。一人で三十人に当たればよい。少し戦場が、混雑いたすだけのこと、ご両所とも、そのおつもりでお心安う」 そういうとさっさと先に立ってみんなを城へ入れる九八郎だった。
| 「徳川家康 (七) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ |
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