わが愛姫
をここへ送り込んで来ている限り、家康の援軍はかならずやって来る・・・・ いや、もしまたその援軍がとどかず、高天神城のように悲運の立場にたたせられたとしても、家康を怨むことはすまいと九八郎はハッキリ覚悟もしてあった。 亀姫と自分がそろって城と運命をともにしなければならないとき・・・・そのときには笑って死んでみせてやる。少なくとも父の武名を汚すものかと口癖のように言いもした。 その裏には彼の亀姫に対する愛情の勝利が大きな柱になっていたのだが、彼自身はそれに気づいていなかった。 そう言えば亀姫は、彼がこの城でいちばん最初に迎えた大敵であったと言える。 はじめから婿の九八郎を山猿のたぐいと軽蔑しきって、最初の日などは、終日口を利かなかった。 初夜の契
りの閨 では、 「──
腹痛がするゆえ、一人でおいてたも」 そう言って、同じ部屋から九八郎を追い払った。 これが世の常の感情家であったら、おそらく全身をふるわせて激怒するところであろう。が、そう言えば九八郎は山猿どころか肝にも毛の生えた一匹の猛虎であったと言ってよい。 「ハハ・・・・」
と、彼は笑った。 「姫は、わしがいとわしいのであろう」 「いとわしい・・・・と言ったら何とする気じゃ」 「何もせぬ。女子
とはそういうものじゃ。やがてそれに気づく」 「それ・・・それとは何のことじゃ。いとわしい」 「それとは・・・・この九八郎が、お方の父御
のお眼がねにかなうほどの、あっぱれな男であったことに気づくというのじゃ。わしは、お方の父御を、同じ値打ちの人間とは考えぬ」 そう言うと、さっさと部屋を出て行った。 姫はあまりのことに、そのときは返す言葉がなかった。 いわば、それが二人の間の戦い開始ののろしとなり、姫は奥の女子どもの、誰彼なしに唇をゆがめて言いふらした。 「わらわは、たとえ舌噛み切って果てても、殿に添い臥しはいたしませぬ」
と。 しかし九八郎はいっこう平気で、夜になると近侍を引き連れて姫の居間へやって来た。そして、食事をここでとり、武辺話に夜をふかして、 「まだ、つむじは曲げつづけかの」 てんとした表情でたずね、怒りに燃える姫の眸
に出あうと、 「ハハハハ」 と、高らかに笑ってさっと表
へ引き取っていった。 こうしたことがたび重なると亀姫は妙に九八郎が気になりだした。 (あれは女子ぎらいなのではあるまいか) 表の小姓の中に、気に入った者があり、自分など無視したまま、一生過ごせる人なのでは・・・・ そう考え出したときが姫の心に敗因のきざしはじめたときであった。 「まだ、つむじは曲がりどおしかの」 同じことを同じように訊
かれて、 「直っていると申し上げたら、何となさいます」 姫が唇をとがらせて詰
り返すと、 「なに、直っていると・・・・」 さっさと出かかっていた九八郎は、つかつかと戻って来ると、 「そのときはこうするわ」 いきなり姫をかかえあげて、乱暴に頬ずりし、 「だが、今宵
は忙しい」 そのままぽいっと抛
り出して行ってしまった。 | 「徳川家康 (七)
著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ | | |