〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part [』 〜 〜

2011/07/19 (火) 緒 戦 (七)

山県三郎兵衛は、ムッとしたように口を結んで答えなかった。
勝頼はその不機嫌に気づくと、自分から笑っていった。
「いや、これは冗談じゃ。これは冗談じゃが、長篠の城には、いったいどれだけの軍兵がいると思うぞ」
「五、六百にござりましょう」
三郎兵衛はにべもなく答えた。
「その五、六百を攻むるに、甲・信・上三州の兵、一万五千がかかっていくのでござります。それゆえ、万一手抜かりがあっては、末代まで笑われまする」
「よかろう。ではお身と高坂源五郎は遊軍、後軍には甘利あまり 三郎さぶろう 四郎しろう 、小山田兵衛、跡部あとべ 大炊助おおいのすけ の三人に二千ほどあててこれも予備隊として控えさせよう」
「さっそくのおききとどけ、かたじけのう存じまする。ではつぎに寄せ手の配備を」
勝頼は、ここで諸将の心を失ってはと、うわべは素直にうなずいた。
そして結局、長篠城をまず踏み潰し、そこへ援軍に駆けつける徳川勢を、長篠と吉田の間でほふって、それから織田勢に当たるということに軍議は一決していった。
城の北方、大通寺だいつうじ 山には武田たけだ 左馬助さまのすけ 信豊のぶとよ馬場ばば 美濃守みののかみ 信房のぶふさ 、小山田備中守昌行の二千。
城の西北方、大手門からは、一条いちじょう 右衛門うえもん 大夫たゆう 信竜のぶたつ土屋つちや 右衛うえ 門尉もんのじょう 昌次まさつぐ の二千五百。
城の西方、有海村からの攻撃軍は、内藤ないとう 修理亮しゅりのすけ 昌豊まさとよ小幡おばた 上総介かずさのすけ 信貞のぶさだ の二千。
城の南方、野牛門の寄せ手には、武田信廉のぶかね 入道逍遥軒、穴山あなやま 玄蕃頭げんばのかみ 梅雪ばいせつ原隼人はらはやと 昌胤まさたね 、菅沼新三郎定直の二千。
城の東南方、鳶の巣山方面には、武田たけだ 兵庫助ひょうごのすけ 信実のぶざね を総指揮官として、和田わだ 兵部ひょうぶ 信業のぶわざ三枝さえぐさ 勘解由かげゆ 左衛門守友が一千。
それに本陣三千、遊軍一千、後軍二千と水ももらさぬものがあった。
その軍議が決して二日目に、大賀弥四郎処刑の確報も勝頼のもとにもたらされ、いよいよ武田勢は長篠へ進路を変えて進みはじめた。
一方、長篠城では、そのころ、まだ城塞じょうさい の修理を終わっていなかった。
父の貞能を岡崎城に送り込み、自分一人この城に入って来ていた奥平九八郎貞昌は家人を指揮して、今、北方大通寺山に面したとりで の構築に大わらわであった。
「いったい、これで甲州勢がやって来たら、どうする気であろうか」
「何でも二万とか、三万とかの大軍だということだが」
「この城にはせいぜい武士は二百五十人ほどしかいまい。これでは心細い限りではないか」
土運びの人足どもが心細そうに時おりささやき交わすのを、九八郎は鞭打つようにはげました。
「この天嶮はの、兵の三千五千にまさったものじゃ。必ず勝ってみせるゆえ案ずるな」
九八郎はこの戦を、しごく単純にわが若さで割り切っていた。
「── 長篠の落つる時は徳川方の滅びるときじゃ」
そう言った家康の言葉をそのまま鵜呑みにしていた。この城に、家康にとってはただ一人の姫、亀姫かめひめ が嫁いで来ている。したがって家康が、自家を見殺しにするはずはないと、固く信じていたからであった。
「徳川家康 (七) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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