「うぬ、またおれの肚を読んだな」 濃御前のうながすような姿勢と眼
ざしに信長はまた愉快そうに笑った。 「はい、その妙案、うけたまわりとう存じまする」 「聞かそうかの」 「はい。つつしんで」 「これはの、この信長と家康の一生の交わりを決定するほどの大事なのじゃ。よいかの。相手はおれの肚のありかを探って来た。おれはそれにはっきりと胆
で答えてやらねばならぬ」 「はい、それはもう」 「援軍を出すだけで事足りると思うな濃、それでは家康は、信長は頼れる親類・・・・と思うだけじゃ」 「頼れる親類・・・・とだけでは、殿はご不満でござりましょうな」 「むろんのことだ。その上にびしりと一つ、力がなければならぬと知れ」 「その力を戦わずに相手の心に通わせる・・・・その手段とは?」 「さよう、家康が最も欲しいと念ずるものを贈ってやろうよ」 「家康どのが最も欲しいと念ずるもの・・・・」 「そうじゃ。ここ両三年の戦つづきで、遠江も三河も飢饉
に近い。それゆえわずか十里の間でも、でき得れば戦わずに済まそうと苦慮する家康、その家康に、黄金を贈ってやったら愁眉
を開こう」 のう御前は思わずポンと膝をたたいて、 「これは妙案!」 と娘のように弾
んだ声になっていた。 「戦をしたと思えば、黄金の少しぐらいは安いものでござりまする」 「なに、少しぐらいだと」 「では、二、三十貫もお贈りなされまするか、米に変えたらどれほどやら」 「ハッハッハ・・・・」 信長はまた途方もない声で笑い出した。 「濃、黄金というはな、少し贈ると、贈ったうえにハラを読まれる嫌なものじゃ」 「では五十貫でも?」 「案ずるな。信長の金蔵では、そろそろ黄金があふれ出して困っている。おぬしが、三十貫も・・・・と、思うたのが、ちょうど家康の思案に近かろう、その倍ではドキリとする程度、ドキリでは、後の役に立たぬと知れ。さすがに裕福と感嘆させるには、そのまた・・・・倍かの」 濃姫はぐっと息をのんだまま、黙っていた。 黄金の五、六匁は米一石、百貫ともなれば二万石以上・・・・と計算するよりも、そのような黄金を無造作に贈り得るということは、すでに富力で相手を圧倒するに充分なものであった。 「殿・・・・」 しばらくして濃御前はため息まじりにつぶやいた。 「それでこそ殿らしいなされ方、もう岡崎の姫のことは案じませぬ。信康どのはきっと反省なされましょうほどに」 信長はそいうい濃御前の顔をいたずららしくじっと見つめてニヤリと笑った。 信長の心の底にもやはり徳姫と信康の顔がうかんでいたのである。 (小冠者め、この信長を舐
めくさっていたようだが・・・・) 「まあよい。濃、水!」 信長はまたごろりと横になって、遠い広間の酒宴のどよめきを聞く顔になった。 |