信長の暴
い言葉を聞くと濃御前はおだやかにうなずいた。 (言い当てられて叱っている・・・・) それがよくわかるからだった。 「お濃 ──」 「はい」 「家康は高天神の小城ひとつを問題にしているのではない・・・・とそちは言ったの」 「はい。そう言って、言葉をつつしめと叱られました」 「別に叱ったわけでもない。が、家康の用心深さに、まだそなたの眼が及んでおらぬと言ったのだ」 「そうでございましょうか」 「夏の戦はの、兵を疲れさすばかりではないぞ。民を疲れさせるゆえ、よく考えねばならぬのだ。今は五月、ようやく稲の根づこうとしている季節だ。夏の戦が三年続いたら、土地は痩せ、領民は飢えてゆくに決まったものだ。それに気づいてか気づかずにか、勝頼はここ数年、やたらに戦を仕掛けてくる・・・・それゆえ家康は、わずか十里のところでも、兵を出さずに済ませたいと思案している」 濃御前は、必ずしも心の中で信長の観察に同意したのではなかったが、またおだやかにうなずいて見せた。 「そちは家康を、身勝手な、用心深い、狡
いばかりの大将と見ているようだが、それだけが家康の全部ではない。家康がこんどおれに援軍を求めて来たのは、求めて来た相手の肚を、おれに読む力があるかないか・・・・と言う探りもあると思うがよい」 「なるほど、これは仰せのとおりかも知れませぬ」 「そうであろう、そのときに、おれが援軍を出さなんだらどうなるか?
仮に高天神の城が落ちて、甲州軍が浜松、吉田の城へ押し寄せてきたとしても、これは軽々に落とせるものではない。せいぜい自分も傷つき、一年の収穫も無にし、民の怨
みを買って引き上げてゆくのがおちだ。分るかこなたに」 濃御前ははじめて顔から微笑を消していった。 「では殿は、この暑さをめがけてご出陣なさるおつもりでござりまするか」 信長はいかにも楽しそうにコクリとした。 「出て行かねば家康めに笑われるわ・・・・と言って、戦はごめんだ。全軍を引き連れて遊山
のつもりで行くのだからなあ、西からおれの大軍が続々浜松へ進みつつあると知ったら、いかに無謀な甲州勢も、高天神からこっちへ出て来る気遣いはよもあるまい。ここらが家康との肚くらべ、向こうも、信康を呼び寄せて父子で浜松で待っているのだ。おれも信忠と二人、父子そろって出て行くわい」 それを聞くと濃御前は声をふるわして、 「恐れ入りました」
と、心から良人に詫びた。 「女の知恵・・・・浅いものでござりました」 「お濃・・・・」 「はい」 「どうせ出て行くのだ。ここらで家康めをあっと言わしておきたいの」 「はい・・・・甲州勢は、出て行くだけで退くと、家康どのもご思案なされてのことなれば・・・・」 「何か妙案はないか。さすがは信長!
と、言わせる手段じゃ」 信長がそう言って眼を細めると、濃御前はまた両手をつく姿勢になった。 もうその妙案を胸に持っている信長と分るからであった。
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