お市の方は乳母をたしなめた。 「泣いたとてどうなることでもない。のう、こらえてたもれ」 言いながら、泣ける者はまだ仕合せなのだと思わずにはいられなかった。 正直に言って行く手に何か望みがあったら、お市の方とて、このように落ち着いてはいられなかったに違いない。生きたいとあがき、死なねばならぬと決まった身を嘆
いて狂乱していたかも知れなかった。 しかし事情は、そうしたあがきを許さぬほど、絶望の屏風
を幾重 にも立ちめぐらしているのであった。 (ここで生き残ったとして、この先に何があろう・・・・) 舅と良人の決心を、動かす力などお市の方にあろうはずはなく、一人で生き残ったとて、それはただ絶望の生の延長にすぎないと想われた。 (またどこかへ嫁がされて、同じ苦しみを重
ねてゆくだけのこと・・・・) したがって、舅を怨む気持ちもなければ、良人や兄を憎むいわれもなかった。 ただ三人の子供を見るとたまらなかった。無数の針を一度に胸へ打ち込まれてくる想いがする。といって、これほど愛おしいものを、母でさえ絶望したむざんな世に、このまま残していってよいのかどうか? はじめは残してゆくべきでは・・・・と考えたが、いまではそれも違ってきた。 「茶々姫、ここへおいでなされ」 まだ、父の去って行った方をじっと睨んでいる一の姫を差し招いてお市の方は笑って見せた。今となっては、せめてみんなが笑顔でこの世を去りたかったし去らせもしたかった。 呼ばれた茶々姫は、おとなしく母のそばに寄って来て、 「お父さまは、伯父
さまの使いを斬ってしまうの?」 と、首をかしげた。 優れた感受性で、この子はもう、父と家臣の会話まで捕らえている。お市の方はそっと豊な姫の髪に手を置いた。 「お父さまは、そのような乱暴はなされませぬ。お心の優しいお方ゆえ」 「でも、怒って出て行きました。斬ってもよいかと言って・・・・」 「お茶々」 「はい」 「姫は、お父さまや、お母さまが亡くなっても一人で生きているのがよいのか?」 茶々姫は返事の代わるに、こんどは母を睨みだした。幼い生命の本能的な抗議らしい。 「そうか、生きていたいと言うのじゃな」 お市の方は半ばひとり言のように、 「無理もない、女の一生がどのようなものかを知らぬ身では」 茶々姫は、警戒するように母からもまた、そっと離れた。つぶらな眸に、あかあかと燭台の灯が映って、そこから言葉になしえぬ抗議の矢が次々に放たれて来る感じであった。 (これはこのままにはしておけぬ!) お市の方は狼狽した。幼い者の眸が、再びじりじりと母を責めて来るのである。 (お茶々、許してたもれ・・・・) お市の方は恐怖の底で心を決めた。 (この子一人のために、みんなの死をみだされたは・・・・) |