「軍使には会わぬ。三河にそう告げよと命じたはずじゃ」 吐き出すように長政は言ったが、木村太郎次郎は、ごそりと頭を下げただけだった。 「その事ならば、居合わす者が、口を揃えて申しましたが、河内どのは一向に」 「帰る気配はないというのだな」 「是非ともお耳に入れねばならぬ大切なことがあると申されまして」 「分っていようが、それは、われらに帰順をすすめる・・・・そのほかに何もあるはずはないのだ」 いつか燭台が運ばれて、あたりはすっかり夜になっていた。 お市の方も、姫たちも、長政の声が大きくなったので、不安そうに太郎次郎と良人を見くらべている。侍女たちの中には、もう平素と同じ明るさの者は一人もなかった。 死を決した館
── というよりも死なねばならぬ館と知ってしまっては、こうなるのが自然であろう。何も知らぬといえば、次女の高姫と、乳母に抱かれている、四歳の達姫だけであった。 「恐れながら」 太郎次郎は胴丸の草ずるについた枯葉の千切れをとりながら、 「今夜は、このまま矛
を納めるゆえ、と申されましたが」 「何のために納めるのだ。遠慮はいらぬ、夜襲して来いと答えよ」 「はい・・・・」 とまた相手は口ごもって、 「まだ女子供が、曲輪内にたくさん見える。今宵はこれで攻めぬゆえ、落とすべき者は落とすようにと・・・・」 「黙れッ!」 長政は狼狽
してはげしく相手をさえぎった。ちらりとお市の方を見やると、お市の方より、乳母や、そのうしろの腰元たちが眼をかがやかせて太郎次郎を見守っている。 「すでにここへ籠城したうえは、女子供とて区別はない。よけいなしんしゃくはご無用と、ハッキリ断って引き取らせよ」 「はい・・・・」 「立ってゆけ、もはや用はないであろうが」 「恐れながら、いま一考煩
わしたく存じまする」 「何を考えよというのだ。敵に降参せよというのか」 「相手も織田三万の大軍を後ろに控えた軍使でございます。ただ会えぬでは帰るはずはござりません。希
わくばご対面あって、もし腹に据えかねたら、お斬り捨てなされまするよう・・・・それでないと、雑兵どもの心が定まらず、だんだん人数が減ってゆくおそれがござりまする」 長政は、それを聞くと、いきなりすーっと立ち上がった。 「会おう。斬り捨ててよいのだな」 お市の方が、床の間の刀架から太刀を取って渡すと、 「みな、よい子でのう」 と、高姫の頭を撫でて出て行った。茶々姫はいまだじっと父への反抗を見せているので撫でようにも手が出なかったのだ。 木村太郎次郎が、あたふたと長政のあとを追って消えると、 「どうやら今宵は攻めぬという・・・・あと一日生きのびましたなあ」 達姫の乳母は、幼い寝顔に頬ずりし、唇をかんで嗚咽しだした。 |