すでに人が人の使者と会っている時ではないと長政は思った。より大きな運命の使者が、彼ら一族のために西方
浄土 からか虚空
からか、いま、迎えの牛車
を出している。 それが到着ししだいに、祖父も孫も、夫婦もそろって乗るのである。 長政は望楼を降りて来ると、武者だまりへ引き上げて来てひと息入れている藤掛
三河守 に、 「また参ったぞ不破河内が、会うまでもないと申して追い返せ」 そう命じておいて、自身は、三人の娘と奥方お市の方のいる奥への渡り廊へ向って行った。 すでに今晩、ふたたび渡ることはないかも知れぬと自分自身に言い聞かせて通った廊下であった。 真昼ならここからも一目で麓まで見通せるのだが、今日はもう霧と薄暮れで視界はせまい。敵の中にある京極曲輪のあたりは、火事かと思い、ぎょっと足を止めたほど真っ赤だった。 勝ち誇った織田勢の焚くかがり火が霧に映じているのである。 「あ、お父上さまが・・・・」 長政の姿を見つけて、幼い者の声が、灯りのない室内から聞こえて来た。 七歳の長女、茶々姫
だった。 「どれどこに・・・・?」 こんどはその茶々姫にもつれて、もう一段小さな姿が廊下の端に浮かんで来た。 六歳の高姫
だった。 「あ、ほんとうにお父上さまが、渡っておいでなさる」 長政はゆっくりと近づいて、薙刀を左手に持ち変えて高姫を抱き上げた。 二十九歳、働き盛りの長政は、抱き上げると小さな人形に頬ずりした。 「お高は泣かなんだかの」 「はい、いい子でよく遊びました」 答えたのは子たちの声にあわてて立って来たお市の方であった。 二人は視線が合うと、どちらからともなくポーッと頬をそめて笑いあった。 昨夜、これが名残
りと交わした契 りの切なさが、まだまざまざと夫婦の胸に残っている。 これから生き通そうと思えば、互いに我執もあったが、死を決してしまった夫婦の中には、少年の日の夢そのままの和合があった。 ただ長女の茶々姫だけは、薄々両親の睦にただならぬものを感じると見え、ときどき大きく眼を見開き、息をつめて、二人を見ていることがあった。 奥での別離の宴は二十六日。 その時には下からわざわざ久政も鶴若大夫を伴ってやって来ていたし、お市の方も筝
の師の検校 を交えて、久しぶりに舞ったり奏でたりしたものだった。 「まだ下の曲輪に異状はござりませんか」 「うむ、父上も頑張っておられるようだ。父上が世にあられる間に、われらが先を急いでは相済まぬ。お茶々、これお茶々、こなたはまた、何でそのようにぬずかしい顔をしているのだ」 薙刀を長押
に掛け、鎧に袈裟の姿のまま長政が古座
すると、長女の茶々が真剣な眼をして言った。 「お父上さま、いつ討ち死になさるの?」 |