忠広と刈谷の使者との対面は、使者の口上を聞くだけで済んでしまった。 何を言われても、広忠はただ
「ウム─」 「ウム─」 とうなずくだけで、答えらしい答えもしなければ相手の労をねぎらいもしなかった。あるいは頭の中で全く別のことを考えていたのかも知れない。 立ちあがった石川安芸が、 「殿はここしばらく健康をそこなわれ、まだ気分が勝
れさせられぬ」 そばから取りなすと、はじめて気がついたように、 「下野
どのによろしく申されよ」 と、最後の言葉を口にした。 「いずれ、当方からも使者をつかわし、お耳に入れたいこともある。安芸のもとでゆるりと休んで参るがよい」 杉山元六は安芸にみちびかれてそのまま引き下がった。 「その方ども何ゆえ退らぬ。まだ予の堪忍の仕方が足りぬというのか」 「いやいや、ご心痛お察しいたしてござりまする」 年嵩
の安部大蔵はそう言ったが、大久保新八郎はすぐそのあとから、 「殿には、城のおとな (年寄り) どもが、それほどお気に障
りまするか」 「なにッ、なんと申した!?」 「堪忍などは屁
の河童 でござる。堪忍はする気でしてはなりませぬ」 「せぬ気でいたら堪忍にならぬわ」 「ならなかったら怒られるがよろしい。殿!殿が怒られたら・・・・怒って戦を開かれたら、岡崎党はよろこんでそのあと始末に死にますわい。思うままになされませ」 「これ、新八!」 兄の新十郎がかたわらからさえぎると新八郎がウ、ウウと大きくかぶりを振って、 「兄者、わかっているのだ。わかっているのだ。わしはただ殿に、今川や刈谷の使者ずれにクヨクヨと気を使われなと申し上げたいのだ。使者の三人五人、平然とあしらって、堪忍などと思わず、これはふだん
の事と押し太く考えて貰いたいのだ」 広忠はそう言う新八郎をじっと眺めて、 「わかった。新八、そちの言うのはもっともじゃ。予は心を労しすぎる」 新八郎はうんざりしてわきを向いた。すぐわかる気の弱さを諫
めているのに、彼の心は通じない。 「殿!」 「なんじゃ」 「気鬱
のときには、城中がひっくり返るようなわがままをなされませ。おとなどもが仰天して腰を抜かすほどのことをなされませ」 「新八、もうよい」 こんどはわきから酒井雅楽助がおしとどめた。 「殿にもお疲れであろう。われらも退って、ご休息の邪魔はすまい」 その夜の五つ
(午後八時) ごろであった。於大の結いこめられている四ツ目垣の前へ広忠が立ったのは。 「太刀を持て」 広忠は小姓の手から佩刀
をうけとると、 「予は通るぞ!」 わめくように言い放って、その垣へ抜き打ちをくれていた。 |