大久保新八郎はぴたりと敷居のそとに坐って、ひどく真四角に平伏した。 彼は彼なりに、ここで一つの教訓を施
そうと考えている。 「若君・・・・大久保新八郎忠俊にござりまする。いつに変わらぬご尊顔を拝し・・・・」 言いかけて彼はこれが、竹千代と初対面であったことに気づいた。そこでゆっくりと四方を睨
め廻し、 「ははッ。もうちっと近こうまいれと仰せられるか。かしこまってござりまする」 部屋の隅で、小笹がクスリと笑いをもらした。が、新八郎はその方は見なかった。雨の後の蟇
を想わす武骨な膝ずりで、そっと白絹の褥の中を覗
き込み、 「ほほう」 といって、太い毛ののぞいた耳をそっと嬰児の鼻に先につけていった。そして柔らかい呼吸がしずかに耳をくすぐると、ウフフと顔を崩しかけて、また厳しく口をへの字にした。 お貞がそばから口を出した。 「若君は何か仰せられましたか」 「うむ申された。ちと内々でと申されるゆえ、拙者
耳を持って参ったのだ。それを笑うとは何事じゃ」 「はて、もってのはかな。誰も笑いはいたしませぬ」 「いや笑った。この新八郎にはよくわかる。心の中でたしかに笑った」 「これはご無体な。喜んでおりまする笑顔を、そのように取り違えられては迷惑の儀に存じまする」 「なに歓んでいる笑顔を・・・・ウム」 そこで彼はまたひと膝うしろへすさって、 「ははッ」
と生真面目に平伏し、 「ご心痛ごもっともと存じますれば、この新八郎、きびしく申し渡すでござりましょう。これ、清左衛門の妻女」 「はい」 「ただいま若君が申されるには、わが側に軽薄なる者どもがいるゆえこの新八郎に叱って帰れと申されるが、心当たりがおぬしにあるか」 お貞はびっくりして、また亀女と顔を見合わせた。隅では小笹がわきを向いて笑いをこらえている。 「ご幼少の折に乳を差し上ぐるというのは並なにならぬ用心のいるものじゃ」 「その儀ならば・・・・」 「心得ているとすぐさま才女顔で申す・・・・それがいかんと仰せられるぞ」 「はい」 「何としても乳母気性はうけつぐものじゃ。おぬしは家中でも賢女のほまれある女子。他人の顔を見て武勇の聞こえ高きなどと軽薄な追従はよも申すまい」 お貞はははあ、あの事かと、これも新八郎に負けぬ生真面目さで一礼した。 「心して仕えますれば、お許しのほど」 「さようなことは一番嫌いじゃと若君が申された。よいか、追従を喜ぶような腑抜
けに育ててくれるなと申された」 「恐れ入ってござりまする」 「軽薄な笑いよろこぶ癖もつけてくれるなと申されたぞ。早くよろこぶものは早くしおれる。簡単な喜怒哀楽は愚痴に過ぎぬと申された」 「くれぐれも用心いたしまする」 「さて、取次ぎはこれだけで、あとは私用じゃ。それにしてもめでたいなあ。ワッハッハッハ」
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