「一族の和合がのうて、この乱世をどう生きぬける。被官も庇護もみなその時々の相手の都合じゃ。西からは織田の狼、東の今川とても風次第。もしわれらに和合結束のことがなく、一族相争う」ことがあったらそれこそどちらかの好餌
になる。老臣どももよくそれを知っているゆえ、二虎の誕生に一点の憂いをとどめていると睨んだ。殿にしてもむろんのことじゃ。そなたをはばかり、わしに遠慮して、心にかけているのがわかる。もしその時にそなたが不満があると言ったらどうなるのじゃ」 お久はいつか枕に額をつけて、全身を堅くして泣いている。 「言いたいことのあるのはわかる。が、世の中に言うべきことと言うべからざる事とがある。この父の眼から見ても、そなたは殿によく仕えた・・・・そうであろうが」 「それゆえ・・・・それゆえ口惜しゅうござりまする」 「そこじゃぞ、お久
──」 乗正はちらと部屋の隅の万を見て、万が同じように泣いているのを確かめると、 「そなたは殿を愛
おしく思うているのであろう」 と、声をおとした。 「は・・・・はい」 「生まれた和子も愛おしかろう」 「は・・・・はい」 「それならば、なおさら堪忍が大切とは気がつかぬか。そなたがもしこの計らいに不満を洩らさば、殿の側から斥
けられるとは気がつかぬか」 「え・・・・?」 「あとの和合を考えて、誰かが生まれた和子の生命を狙うとは思わぬか。松平党の中にはな、お家のためとあらば泣いて事を断ずる忠僕どもが、五指にあまる事実を知らぬか」 「・・・・」 「この父はそなたも無事、和子も無事、それで一族の和を傷つけぬ方法をと、三方思うて計ろうた。よいか。決して殿を怨むでない。老臣どもを怨むでない。怨むならばこの父を・・・・なあお久」 お久の枕からまたひとしきりしみ入るような嗚咽
が糸をひきつづける。 同じころ ── 二の曲輪母櫓
の下にある風呂谷の於大の方の産室では、すでに父子の対面も済み、竹千代の名をつけられた嬰児が、産室に隣り合ったわが居室をあてがわれ、無心な眼をパッチリと開いて虚空を見ていた。 色はあくまでも赤く小さな拳の手首は二重にくびれている。居室はここも以前の局
の一部で、豪華ではなかったが、きれいに拭ききよめらてていた。すでにそばには選び出された乳母も二人ついている。 一人は家臣天野
清 左衛
門 の妻お貞
。もう一人は渡村の清水
孫 左衛
門 の妻の亀女
。どちらもこれまた嬰児の赤さにおとらぬ血色で、まだ奥仕えになれぬ硬
ばりを体中に見せている。 産室へはむろん誰も入らなかったが、ここへはすでに老臣どもがおとずれる。いずれも遠慮なく新しい乳母を叱りとばしていくので、どちらもいっそう堅くなっているのがわかった。 「頼もう」
と、また声がかかった。 「大久保新八郎忠俊、竹千代さまに年賀言上のため参上いたした。お取り次ぎめされ」 |