お久の方は裂けるような眼をして、かたわらに眠っている嬰児と父とを見比べた。 同じ広忠の子でありながら、於大の産んだ子は城中湧き返る様な歓びに迎えられているというのに、自分の胎から生まれた児は顧
みられもしなかった。ただそれだけでも母としては、たまらなく大きな口惜しさだったというのに、そお子ははじめから出家させられるという。 「泣くではない。小さな了見で、これを不幸と考えるでないぞ」 乗正も生まれた児が不愍
でならないらしく、また両手をついて嬰児をのぞきこみながら鼻をすすった。 「これはな、一人一人が持って生まれる自然の位で違うことじゃ。釈尊
は王家に生まれまがら、王位を捨てて仏道を立てられた。王位に満足してござったら、ただ小さな一国の王にすぎなかったが、いまは三千世界に君臨しておわすぞ」 「でも、これはただの出家と違いまする」 「いやいや、この出家が尊いのじゃ」 「いいえ!久にはそうは受け取られませぬ」 「はて聞き分けのない。どうとれるというのじゃ」 「この児は・・・・はじめから邪魔にされた。久はそれが口惜しゅうございます」 「さてさて困った産婦じゃ。泣いてはならぬと申すに」 乗正が困
じはててわきをむくと、お久はそれにたたみかけた。 「出家は、自分からこの世を見捨てて仏門に入りまする。生まれながら世に捨てられた出家など、久は聞いたことも見たこともございませぬ。そのような酷
いこと、いった誰の指図で決まったのか。さ、それを聞かせて下さりませ」 乗正の咽喉
がピクピク震えた。しばらく答えもない。部屋の隅で急に炉の湯が松風の音をたてて沸り出した。 「どうしてもそれが聞きたいと申すか」 「はい。和子のために聞いておかねばなりませぬ」 「では聞かそう。それはな、この父の申し出で決まったことぞや」 「えっ!
お父さまご自身の」 「お久、忍んでくれ。この世は堪忍
の世の中ぞや。誰かが心の虫を殺して堪忍せねばならぬ。それが人の世のさだめなのじゃ」 「お父さまが・・・・」 「わしが年賀を兼ねてお祝いに来てみると、城中湧くような歓びの中にただ一つ、曇り日に似た暗さがあった。同じ時刻に二人の子が二人の母の腹を出る・・・・これはいったい吉相か凶相かと、安部兄弟をはじめとして、酒井雅楽輔も石川安芸も判じかねているようじゃ。そこでわしは、これこそ吉相と判じてやった。わかるか、その父の心が・・・・のうお久、そなたを殿のおそばへあげるそもそものわれらの心はなんであった。一族のためを思うこの堪忍ではなかったか。和合こそは栄えのもと、お側を騒がす者を近づけてはと・・・・それでそなたを差し上げたのではなかったか。お久、このとおりじゃ。父の計らいじゃによって堪忍してくれ、忍んでくれ」 そういうとみずから凡庸を道とするこの父は、いつかぴたりと娘の前へ両手をついて泣いていた。
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