お久はしばらくして、ふっと大きく眼を開いた。謡の声が父の左近乗正に思えたからであった。 (父が来ている・・・・) それならば今日は正月の三日でろう。年賀をのべ、和子の誕生をのどかそうに祝うて、その城の片隅に自分の娘の泣いているのを知っているのだろうか。 広忠のもとへ無理にお久を側女にあげたのは人一倍宗家思いの父であった。そのときのお久はまだ十五歳で、男と女子の体の相違もハッキリとは知らなかった。その父が、 「──
そなたは殿のお側へ参るのじゃ。よいか。心してよく仕えよ」 そう言って母に引き渡すと、母はきびしい顔で殿と自分の体の相違から説きだした。 「──
殿はのう。元服はなされたがまだ十三歳にて、おく
手と見受けられるゆえ、そなたが何かと心を配って差し上げねばなりませぬ」 それが、着物や食事のことではないとわかったとき、お久は顔中が真っ赤になった。 薄々は想像はしていても、まだハッキリと子供の生まれる場所に不審も感じていないお久であった。 そのお久に事細かに教えてゆく母が、少しでも羞恥を見せたらお久は部屋を逃げ出していたに違いない。が、女丈夫と言われて父も一目
置く母は、 「── これは子孫を残す大切な営みゆえ、ゆめおろそかに思うてはなりません」 固い言葉で仔細に説いて、 「── その後はわが身でご工夫なされ」 と、きびしく言った。 母に伴われて登城したのは桜の季節で、二の丸の馬場の花の下で、はじめてお久は広忠を見た。そばに小姓と華陽院が立っていて、 「──
殿、これから身辺の御用はこのお久におめいじお命じなされませ」 華陽院が静かな口調で引き合わせたとき、まだまるきり少年の広忠は、 「── ウム、久というか。予はもう一鞭あてて戻るゆえ待っておれ」 そういいすてて、さっさとまた馬場の方へ駆けていった。 その夜から広忠の湯殿の世話はお久であった。お久は母の言葉のとおり自分と広忠の体の相違を発見して胸のドキドキしたのを覚えている。しかし半年ほどは広忠の方でまるきりそれに気づかなかった。 (ご用がなければ黙って仕えていてよいのであろう) そう思いながらも、何か心がおちつかず、広忠の前でときどき体が固くなった。 広忠が、そのお久にはじめて男の眼を向けて来たのは秋も深くなってからであった。 「──
久、そちと予とは体が違うぞ。何ゆえじゃ?」 そのときも湯殿であった。悪戯
らしく光った広忠の眼がすっかりお久をドキマギさせた。 「── お、これは妙じゃ。そちも裸になって見よ。予が背中を流してとらそう」 お久はそのときはじめて母に教えられた言葉をそのまま広忠に告げた。 そして・・・・ 広忠の育ちも癖も好みも節度も知り尽くして来ているはずなのに、それが於大に敗れようとは・・・・? (ことによると父や母の訓
えには何か足りないものが・・・・) そう思ったとき、この産屋の前で止まった木履
の音があった。 |