昨日は薄く雪が降った。その雪まで浄
めの雪だと城内は騒ぎ立っている。 暦の上ではすでに正月で、表では和子の誕生と新年の賀が重なっている。 同じ産室にいても於大の方の風呂谷の産室は、おそらく陽気のみちみちた湧き出しそうな明るさに違いない。 が・・・・この長局
の端に汚れを避けて、女中部屋を改造したお久の方の産室は淋しい限りであった。 昨日も今日も訪れる人はなかった。侍女の万がひとり付き添い、産婦のための土鍋の下の炭火を吹いている。 「和子さまのお名前は、お祖父さまの幼名をいただいて、元日のお七夜に竹千代さまと申し上げることに決まりましたそうな」 万は、雨だれの落ちるように言ってひとしきり火を吹いた。 「勘六さまご誕生のときは、お殿さままでわざわざお部屋へ渡らせられましたのに」 お久の方は、まっ白な障子のおもてを見つめたまま、時々あるかなきかの吐息をもらすだけ。 「寅年の寅の刻に普賢菩薩さまが生まれ変わって出て来られたと、老女の須賀さまが、大久保様に廊下で告げると、あの道化た大久保甚四郎さまは、おおさ、これで天下は松平家のものと決まった。そうおっしゃって舞いながら歩いてゆかれましたそうな・・・・」 「・・・・」 「寅の年の寅の刻になら、この和子様も同じお生まれ。どちらがほんとうの普賢菩薩かわかるものか」 そう言えば、お久の方の右側にも、小さな褥
がしつらえられ顔をしかめた嬰児が眠っている。 お久の方はそれがお屋敷さまの産んだ竹千代と、同じ日の同じ時刻に生まれたことが不審であり哀れであった。 こうしたところまで、女の競いはつづくものだろうか? 「──
お屋敷さまが産気づかれました」 そう聞かされると、お久の腹も急に激しく痛みだした。 暮れの十二月二十五日── 二十六日が寅の日ゆえ、寅に日まで産むまいと、そんな意識もたしかにあり、子
の刻をすぎると目の眩 むような陣痛に襲われた。父の松平左近乗正のもとから遣わされてあった取り上げ女が、 「おお、生まれました。寅の日の寅の刻、和子でござりまするぞ。男でござりまするぞ」 ハチ切れそうに叫んだとき、お久はほんとうに城内を廻る刻
の柝 を聞き、それからボーッと意識は薄れた。しかしその意識の底ですら、(勝った!たしかに勝った!)
そんな感情が靄 のようにまつわりついて離れなかった。ところがその勝利感は、同じ日の同じ時刻に、お部屋様もまた玉のような男子を挙げたと聞かされたときからみじめに崩れた。 どちらも同じ男で、一方は側室の二男であり、一方は嫡子であった。そして一方は松平家にとって大きな意味をもつ竹千代と命名されたのに、一方はお七夜を過ぎてもまだ名がなかった。 お久の方はそれが口惜しい。なぜ相手は女子を産まなかったのか。なぜ時刻をいくぶん違えなかったのか?
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