大久保七朗右衛門忠世は、しばらく黙って家康のいびきに耳をかたむけた。 (これほど強情に戦いぬかずとも・・・・) そう思うあとから、人間と人間の闘争の、一番はげしいものに触れた気もして襟を正す感動もあった。 (なるほど、これがお館の根性であったのか) 全力を尽くして眠る。眼がさめたら果たして何と言うであろうか? 即刻ここを引き揚げて、吉田城で織田の援軍を待つというか?
それとも城を枕に討ち死にするというか。 ── そこまで考えて忠世はハッと胸をつかれた。 三椀の湯づけをすすって敵前に眠る家康に、そのような後図のあるはずはなかった。 生も死も度外視して、ただ戦うだけだと言うに違いない。 と、そこへ天野三郎兵衛と、石川伯耆
がこれも全身に矢を立てて駆けつけた。 「あ、眠ってござる」 三郎兵衛がいうと、石川伯耆は呆れたように首を振って、 「いびきでござるな。これは」 「いかにもいびきでござる。して、かがり火は」 「呆れ果てた!
真昼のようにかがり火を焚いて、城門は開けっぴろげじゃ。敵は城下へ乱入している。すぐ起こして指揮を待たねば」 「指揮はうけたまわってござる」 忠世はぐっとひと膝すすめた。 「今敗れてここを退くはかえって敵を招き寄せるもの。信玄とて鬼神ではない。一休みして敵の眼を覚まされると・・・・」 「まだ強気に仰せられるのか」 「さよう、ここで敵を呑むことこそ三河勢の面目と」 忠世はそこで言葉を切って、ぐっと三郎兵衛に向き直った。 「それゆえ拙者はこれから犀ヶ崖へ討ってでる」 「なに、、また討って出られると?」 「城下へ乱入している敵の後ろから鉄砲を浴びせてやらねば主命にもとる。三郎兵衛どの、鉄砲足軽をお集め下され」 「三郎兵衛は一瞬じっと忠世を見返していたが、すぐに意を決したようにうなずいた。 「心得た。何ほど残っているかは知らぬがすぐに集めよう」 三郎兵衛が去ってゆくと大久保忠世はぐっと草づりの紐を締め直して、 「方々お先へ」 そのころにようやく広間へは燭台の数がふえた。家康のいびきはまだ続いている。 「よし、われらも大手で斬り死にしよう」 石川伯耆がそういって袖に立った矢を一筋引き抜いたときだった。 雪空を圧してとうとうと矢倉の大太鼓が鳴り出したのは。 人々はびっくりして顔を見合わした
。 誰かだ城内に帰ると同時に、やぐらへ駆け上がっていったのに違いない。 家康のいびきはその音でぴたりと止んだ。ゆっくりと大きくのびをして、ちょと太鼓の音に耳をかしげる顔になり、それから周囲を見まわした。 「さ、疲れも癒
えた。戦おうぞ・・・・」 |