三方ヶ原は、浜松城の北にある。 二俣街道の左につづいた犀ヶ崖の上の高原で、たて三里、よこ二里にわたって灌木の生えるに任せた荒蕪
の地。 そこで家康は是が非でも一戦しようという。 家康の視線を浴びて酒井左衛門尉忠次は、思わず眼をそらしそうになった。 「忠次、おことに右翼を命ずる」 忠次はハッと言っただけだった。ただ右翼とだけでは反対する理由もなければ、意見を述べることも出来ない。全体の陣ぞなえがわかるまではうかつに口は開けなかった。 「数正!
おことは左翼じゃ、よいか」 「承知」 と、石川数正は、喰い散らした頬ひげを怒らすようにして口を結んだ。 「この左右両翼の間に全軍を配置する。最右翼の忠次の左に滝川一益どの、その左手に平手どの、佐久間どのと織田の三将は並ばれよ」 「心得ました」 近江での三河勢の勇戦を知っている三将は、ここでは口をはさめなかった。 「また最左翼の数正が右には平八そちがゆけ」 本多平八郎忠勝はニヤリとしてうなずいた。 「平八が右は家忠
──」 これも言葉を返せぬきびしさで言われて、松平家忠は、じろりと平八郎の方を見ながら、 「はッ」 と言った。 「家忠が右は小笠原長忠、予は中央にいる。それから戦目付けは、四郎左、おぬしだ。二度とない戦、しかとつとめよ」 言われて鳥居四郎左衛門忠広
は、 「殿 ──」 と、しずかに呼び返した。 「すると殿は三方ヶ原に鶴翼陣
でのぞまれるおつもりでござりまするか」 「おかにも。前後左右は犀ヶ崖つづき、いずれへも退路はないぞ」 忠広は小首をかしげて、あとは問わなかった。 家康の心がわかる気もするが不安でもあった。三万近い武田の大軍に対して横一線という備えはない。どこを破られても・・・・しかし、家康の言うとおり退却路はなかった。 三方とも崖の背水の陣で、全軍に斬り死にか勝利を迫っていると考えるよりほかにない。 それが、あまり士気の上がらぬ織田からの援軍に決意を迫るものであり、あとに含みを残しているものならばよかったが、そうでなければ一大事になりそうな気がしてくる。 織田の三将がいるので、これ以上に鳥居忠広も訊けなかった。 「相分ったら、直ちに引き取って、各自出発の用意をせよ。それから半蔵」 「おう」 と、不精な答えで渡辺半蔵守綱
が首を振った。 「その方、敵の状況を見て参れ。そして、各隊は明朝二十二日、夜が開け放たれた時は、一歩も敵を通さぬ決意で、三方ヶ原にあらねばならぬ。よいかッ」 一同は粛然
と体で答えた。が、誰も腑に落ちたのではなかった。 一度破られたら交替する味方もない。そんな鶴翼の構えで武田勢が迎えられるものであろうか? |