城へ帰ると家康は珍しく酒をはこばせた。食膳はいぜんとして麦を混ぜた半つき米に一汁三菜。 そのせいで米倉は岡崎も浜松もいっぱいだった。食味の上下は珍奇を排すと、結局ものの噛みしめ方にあった。 よく咀嚼
して何度も舌の上で味わい直すと、麦一粒にもたまらない味がある。人生も戦もそれと同じに違いない。 「今日は酒を味わって見ようと思う」 家康は給仕に出て来た腰元のおたみに言って、苦しい顔でじっと濁酒をふくんでいった。 酒が好きというのではない。何よりも好物と、食いつくように飲む者の心根を味わおうとしているのだ。 (どこがうまくて飲むのか?) ただ酔い痴
れて自分を忘れたい為に飲むとしか見えない酒。 が、ふくんでゆくとその酒の中にもやはり信玄がうかんで来る。 「ウーム」 ぴりりと辛くて、甘味まではしみじみ溶け込まぬ。そのまま飲むと酒とは辛いもので終わりそうであった。 「甘味が残った。まずくはない」 それから思い出したように、 「西郷の年寄りを呼んで来い」 と、おたみに言って、サラサラと湯づけをかっこみだした。 西郷左衛門佐清員は、城から退出しようとしているところを呼び止められて、 「お召しでござりまするか」 「うむ。今終わる。しばらく待て」 家康は、全然それを無視して、三椀湯づけを替えてから、 「そちに預けてあったな?」 「何を・・・・でござりまするか」 「忘れたか。あれは一昨年の夏であった」 「と、仰せられると、お愛でござりまするか」 「覚えていたな。そのお愛に、ちょっと参れといえ」 西郷左衛門佐清員は呆れたように家康とそこに置かれた銚子を見比べた。 酒の機嫌で戯れる主君ではなかった。が、それにしても城内挙げて武田の襲来に心を労している時に、とつぜんお愛を呼べというのは唐突すぎる。 清員は家康に言われるまま、二年前の夏からお愛を養女としてその子供ともども引き取って育てている。 が、内心はいささか不平であった。 養女にして預かれという以上、せいぜい二、三ヶ月で召し出して側室にする気であろう、と思っていたのに一年経っても二年経っても何の音沙汰もない。 その間にお万の方は、一度妊娠して男の子を産んだ。それはすぐに亡くなってしまったが、もし生きていたら、岡崎から築山どのが乗り込んで来たかも知れない。 それほど築山どのは以前自分の手元に置いたお万を怨んでいた。 そんな事情で、あれはお館の戯れであったらしいと、自分でも諦め、お愛にも、それとなく言い聞かせていたのである。 (それが突然二年半も経とうとする今日になって・・・・) 清員が立ちかねていると、 「何を考えている。病気ではあるまいお愛は」 酔ったとも見えない家康はきびしい声でうながした。 |