〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part Z』 〜 〜

2011/06/09 (木) 人 生 岐 路 (一)

甲斐の颱風たいふう のきざしが見えると、遠江、三河へは冬に先駆けて木枯こがらし が吹きそめるのは当然だった。
五十二歳、円熟の極に達した武田晴信入道信玄は、いわば戦国の巨獣であった。
その巨獣が今にして起たざればわが生涯に上洛の好機なしと断定して、ついに腰を上げようとしているのだ。
岡崎にあるときはかなり秋が深まるまで菅生すごう がわ の川口で水練にわが身を鍛える家康だったが、浜松城へやって来てから、それは鷹狩に変わっていた。
元亀三年 (1572) の九月末。
三十一歳の家康は、その日も城を出るとさいがけ から左、西追分から三方みかたはら まで出て行って、まっ白なすすき の間でしきりに獲物を追っていた。
いや、獲物を追っていると見えるのはうわべのことで、その実、甲斐の巨獣の蹶起にどう対処しようかと、それに心を砕いていたのである。
獲物の野兎のうさぎ を井伊万千代にさげさせて、馬込まごめ がわ にそそぎ込む、小さな川のほとりまで来ると、空をうずめたうろこ雲を睨んで家康の足はぴたりと止まった。
「平八を呼んで来い」
「はッ」
「鷹はもう休ませよ。予もしばらくここで休もう」
万千代が去ってゆくと、家康はどっかと枯れ草の上へ腰をおろしら。
(これがわしの運命の別れ途だ)
そんな気がしきりにするのが、自分自身でもどかしかった。
怖れを知る者には必ず悲惨がつきまとう。事に当たって心を動かすなとは、少年時代駿府すんぷ にあって雪斎せつさい 長老からこんこんと訓えられたところであった。
大きく眼を開いて宇宙を見るがよい。理と非理と、順と逆とはおのずから心眼に映じてくる。
やって来る冬はいかなる勇者といえどもさえぎれず、いかなる智者といえどもかわ せるものではない。
それが躱せるように映り、さえぎれるように映じるのはわが心の鏡のゆがみによる。
そのゆがみこそは迷いのもとであり、迷いある者は必ず敗れる・・・・その訓えはすでにわが血肉になりおわっているつもりだったのに、いま、予期していた颱風の前では、心が動いてやまなかった。
戦うが順か?
頬かむりして通すが逆か? 頬かむりしていたら、おそらく信玄は浜松城をたたかずに通過して、問題はあとに残るに違いないが、その当然の結果として、自分の位置は武田家への隷属れいぞく を意味しよう。
(今川氏にも織田氏にも断じて屈しなかった自分が・・・・)
動かぬ雲をじっと見上げている時に、そばの萱の株かげで、クックックと声を殺した笑いがもれた。
「誰だ?」 と家康は振り返った。と、元気いっぱいの本多平八郎忠勝が、
「殿、何というお顔をしてござる」
これも血まみれの兎を下げて笑いながら近づいた。

徳川家康 (五) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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