信長の計算どおり、氏家
直元 と安藤
範俊 が横山城の囲みをといてやって来ると浅井勢は崩れていった。 「いまだ、馬曳け!」 信長ははじめて床几を立った。 立つと必ず疾風をまき起こす。きりりと兜の緒をしめて、烈日の下へおどり出すと、 「佐和山への退路を断て!」 命じておいて真正面からひた押しに押しだした。 そのころすでに家康の三河軍は朝倉勢をさんざんに打ち破って、浅井勢の後方へ出て来ている。 四方みな敵と見たときに、浅井の猛将磯野員昌は、居城の佐和山城が気になって、もう戦ってはいられなかった。 氏家、安藤の隊を衝いて一路南下を志す。そうなると浅井の本隊ももはや小谷城への引き揚げを考えなければ全滅の憂き目に会う。 九ツ半から八ツ
(午後一時から二時) に至り、戦機は完全に浅井勢に背を向けた。名だたる勇士が続々と討ち死にしていった。 「大事は去った!」 浅井の重臣遠藤喜右衛門は、こうなればこの乱軍の中で、信長を討ち取る以外に、浅井家を救う道はないと思った。 彼の今までの作戦はことごとく長政父子に容れられず、つねに好機を逸して来ている。 彼が最初に信長を討てといったのは、信長が六角氏を討って上洛する際の柏原
上菩提院で酒宴のおりであった。 「今にして討たなければ、討つ時期はござりませぬ。この喜右衛門にお任せ下され」 そう言ったが長政父子は 「義」 を口にして許さなかった。 そして今度の合戦の時には、赤尾
美作守 とともに喜右衛門は極力これに反対した。 「──
すでに信長は歯の立たぬ巨鯱
でござりまする。ご親類の間柄でもあり、別心を抱いてはお家の破滅、先年とは訳が違いますれば何とぞ思いとどまられまするよう」 情理を尽くして説いてみたが、やはり父子は
「義」 を称 えて聞き入れなかった。 その結果が今日の敗戦である。喜右衛門は馬を捨てた。兜を捨てて乱髪のまま、深傷
を負って倒れている味方の親友三田村
庄右衛門 のそばに寄っていって、 「介錯
!」 と言いざま首をはねた。 (これが最後のご奉公。神々加護を垂れたまえ!) 片手に首、片手に血刀をひっさげて喜右衛門はなだれをうちだした味方にさからい、まっすぐに織田の本陣目指して進んで行った。 全身は返り血をあびている。薄傷は五ヶ所もうけていたが、さすがにその声はあたりを圧してひびいてゆく。 「お館はいずれにおわす。敵将三田村右衛門が首、見参
に入れん。お館はいずれに」 信長の旗本はそれを味方と思い、 「おお、三田村が首を・・・・」 と、道を避けて喜右衛門を通した。 「お館はいずれに・・・・」 喜右衛門はついに、信長の姿を見つけた。従士五、六人に取り囲まれ、ずっと前方に視線を投じたまま青葉の繁みを抜けて河原へ出て来たところであった。 喜右衛門はそっと血刀の目釘をしめして近づいた。 |