〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part Z』 〜 〜

2011/06/06 (月) 男 対 男 (十三)

信長は馬上で小手をかざした。
おびただしい死体を残して敗走してゆく浅井勢と、朝倉勢が、ときどきあい討ちを演じてゆく。
三河勢に引っ掻き回されて血迷った朝倉勢は、敵と味方の識別まであやしくなって来だしているのだ。
(さすがにいくさ巧者ごうしゃ !)
姉川を渡った家康は、朝倉の本陣のあとに旗を進めて、敗走する敵を左から右から寸断させている。
ふと頬に微笑が浮かんだ。この戦、家康は信長に見せるために腕をふるい、信長は家康を意識において戦っている。ただの浅井朝倉攻めではなかったことに気づいたのだ。
いわば男対男の、別の勝負を裏にかくした決戦だった。
(家康め、必ずおれが勝ちに乗じて小谷城を衝くと思うであろう)
信長はフフンと笑って、福富ふくとみ 平左衛門へいざえもん を招くと、
「これで小谷城の手足はもいだ。兵が疲れている。深追いさせるな」
と、そのときだった。
「おん大将、これにあらせられましたか、敵将三田村庄左衛門の首級しるし にござりまする」
「なに、三田村が首だと」
信長が振り返った瞬間に、
「殿、あぶないッ!」
竹中たけなか 半兵衛はんべえ の弟久作きゅうさく 重矩しげのり がパッと躍り出すなり、いきなり遠藤喜右衛門に抜き打ちをかけた。
「あ ──」
喜右衛門はよろよろッとよろめいた。
「無念!見破られたか」
「参れッ。竹中重矩、かならずおぬしがここへ来ると見抜いていたわ」
「・・・・な・・・・なにッ、わかっていたと」
「いつの戦にも殿軍しんがり はおぬしがする。おぬしの性根、そのまま棄てる男でないと知っていたのだ」
喜右衛門は刀を地面に立てたまま、ぽとりと首級をおとしていった。竹中久作の抜き打ちは具足の肩から深く骨に達していたらしい。
胴から草摺りへポタポタと血がおちだした。
「そうか・・・わかっていたか・・・・」
ふっと喜右衛門の顔がゆがん。笑ったつもりなのであろう。
「信長の前へ、わ・・・・わ・・・・われから首を運んで来たか、ハハ・・・・ハハ・・・・」
そういうとよろよろッと久作の前へよろめいて、
「討てッ、首・・・・」
そのままばっさと青茅あおかや の上に倒れた。
「殿! おあぶのうござりましたなあ」
信長はそれに答えず、
「これで小谷の城の柱が折れたわ。よし、首を討って屍体したい はどこかへ葬ってやれ」
そういうと、そのまままた馬を前方へ歩ませた。
すでに河原に戦う敵影はなくなった。
前線へ号令が届いたと見えて、ボー、ボーと引き揚げの法螺貝が鳴り出した。かれこれ八ツ (二時) であろう。
(敵の戦死千七百 ──)
信長は心の中でそう計算しながらギラギラと光って流れる川面の反射をさけるため、また小手をかざして敗走する川向の野道を見やった。
徳川勢が急速に結集して、ドーッと勝鬨かちどき をあげている。

徳川家康 (五) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ