〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part Z』 〜 〜

2011/06/06 (月) 男 対 男 (九)

真柄直隆は、ようやく疲れて来た。向坂兄弟は直隆の豪刀を警戒して、ぐるぐると輪乗りをかけて、仕掛けようとしなかった。
そのくせ退こうとするとすぐ槍をつけてくる。
味方の敗勢はひしひしと感じられたし、烈日の下で咽喉のど はカラカラに乾いて来たが、ここで馬を返す気にはなれない。馬を返せば必ず 「真柄は逃げた」 と呼ばれよう。
五尺二寸の豪刀を誇ってきた彼にとって、生き甲斐は武士らしい武士、豪傑らしい豪傑ただ一つであった。
「来るかッ」
彼がまっすぐ太郎太刀を空に突き立て、ぴたりと馬を止めた時は、榊原小平太康政の三河勢が、ときを作って朝倉勢の本陣へ斬り込んだころであった。
「おお、音に聞こえた真柄どの、何で討ち取らずにおくものか」
と式部がこたえた。
「よし、その執拗さが気に入った。近国無双と呼ばれた鬼真柄、汝ら兄弟の手柄にせよ。眼ざわりじゃ。兄から一人ずつかかって来い」
「何と?」
「その勇気なくば蹴散らして行くと思え」
「わかった。参り合わそう」
式部はそう叫ぶと、サッと手槍で一突きした。その穂尖が真柄の草摺りにふれたと思うと、太郎太刀は唸りを生じてそれを払った。
「あっ!」 と式部は馬上にのぞけり、一転して地べたへ這った。
兜の甲の吹き返しをたたきつぶされ、手から槍はけしとんでいる。
真柄もぱっと馬からおりた。
「うぬッ。弟五郎ぞ!」
直隆の振り上げた二の太刀に、兄を討たせまいとして弟の五郎次郎ががきっと受けた。が、なみの刀でこの豪刀は受け切れるはずはない。五郎の刀は鍔元つばもと から切り離されて近くの柳の梢へとんだ。
「末弟六郎!」
間髪を入れずに、六郎三郎は十文字槍をふるって五郎をかばった。五郎は太刀を切り落とされただけではなく、右股に切尖きっさき がふれたと見え、黒い血が近所の土を染めている。
兄弟の家来山田宗六も、主人を討たせまいとして、遮二無二直隆にかかった。
直隆はしかしその二人を斬ろうとしなかった。彼はすでに彼らしい死を考えていたのである。
どちらも手傷を負っている式部と五郎を見比べて、
「道を知る奴、惜しくはあれど・・・・」
そうつぶやくと、よろよろと立ち上がって、刀を抜いた。一番深傷ふかで の五郎次郎の上に、がっと豪刀をふりおろした。
五郎次郎の体は声もなく真っ二ツにわれ、ザザザと音たてて血がしぶく。その瞬間に、末弟六郎の十文字槍は直隆の肩の肉に喰い込んだ。
「ハハ・・・・」 と直隆は笑った。
「あっぱれ! いざ鬼の首を討ち、手柄せよ」
がらりと太郎太刀を投げ出して、熱く灼けた地べたへ崩れるようにあぐらを掻いた。
すかさず六郎は槍をふるった。ぶすりと脇腹へ突き立てたが、直隆の体は動かない。
「兄上、首級を早く!」
が、式部は薄傷うすで を負って手元の狂うおそれがあった。
「六郎、そち討て。勇士の首ぞ。笑われるな。心して討て」
そういうとがくりと砂の上へ膝をついた。

徳川家康 (五) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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