真柄直隆は真っ向に大太刀をふりかぶった。越前の千代鶴が、有国、兼則などの刀匠にはかって鍛えたこの五尺二寸の大太刀を、千代鶴の太郎と呼ぶ。 千代鶴には次郎があって、次郎は四尺三寸、これは真柄の子の十郎三郎が持ってこれもどこかで暴れ狂っているはずであった。 本多平八郎はその太郎太刀の前にぴたりと槍をつけてじりじりと馬を左にまわした。 このような豪刀にふれては人も馬もひとたまりもあるまい。 隙を見つけてさっと槍を繰り出すと、直隆はニヤリと笑って右にかわし、一挙に馬を煽って来た。 その瞬間だった。 「平八を殺すなっ。うぬらは腰抜けかッ」 それにつづいて駆け出してきた家康の声
── と思ったときにワーッとおめいて旗下の若武者どもと平八郎の手兵がいっせいに二人の間へなだれ込んだ。 榊原小平太の顔がある。加藤喜介がいる。天野三郎兵衛がいる。彼らは本多平八郎を救うというよりも、家康の人垣になるために、期せずして割って入ったのだが、これは三河勢に猛反撃の勇気を与えた。 「退くなッ。後詰めの織田勢に笑われようぞ」 家康の声がまたひびいた。酒井忠次の一番隊、小笠原長忠の二番隊は、この声にはげまされて、ドッと敵を押し返すと、見る間に川を渡ってゆく。 本多平八郎は一度行き違った馬をまわして、ふたたび真柄に襲い掛かった。 「本多どの、その敵、わららに」 「誰だッ、向坂
兄弟か」 「いかにも向坂式部」 「その弟五郎次郎」 「同じく六郎三郎、その敵、わらら兄弟が引き受けました」 「おお、見事にやれ。任せたぞ」 平八郎はすでに浮き足をとどめる役目は果たした。真柄直隆を向坂兄弟に任して、そのまま前線に馬を飛ばした。 と、そのころから右翼の織田勢の旗色が悪くなった。 浅井勢の一番隊磯野
員昌 が、織田方の先手
坂井 右近
政尚 と、その子の久蔵を討ち取って、池田
信輝 の第二陣へ破竹のように殺到しだしたのだ。 だんだん日は高くなった。姉川の河原も水田も、血しぶきと白刃でいっぱいになり、法螺と太鼓と怒号で満たされた。 浅井長政は磯野員昌が、信長の本陣近い木下勢にかかっていくのを見きわめて、総攻撃を命じた。 家康はそれを見て、ついに榊原小平太康政まで、自分の手もとから離して、 「小平太、織田勢へ加勢と見せて朝倉が本陣の右をつけ」
と命じた。 まず朝倉勢を混乱させ、大勢を決した上でみずから信長のそばへ馳せつけるつもりであった。 小平太は手兵をひきつれ、水しぶきをあげて川を渡った。 そのころからようやく朝倉勢の敗色は濃くなり、最前線には向坂兄弟にとり巻かれた、真柄十郎左衛門直隆一人が取り残された形になっていた。
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