信忠のそばには留守居の重臣たちが続々とつめかけていた。織田信包
の指図で、滝川 一益
や川尻 肥前守
のもとへは使者が飛び、生駒
八右衛門 、福富平左衛門らの指図で、 「──
小谷の城目指して岐阜勢出陣!」 の間諜がつぶてのように放たれた。 この間諜の飛ばす流言によって、浅井勢を二分させると、信長の背後を襲
う勢力が半減する。 ぼうぼうと法螺
貝 が鳴りだした。 濃姫はその音に耳をかしげながら、ニコリと頬へ笑いをきざんだ。あまりにあげしい人生の変転を見て来ているので、信長の無事を
── と祈る気持ちより、笑われずに、その生涯を閉じるようにとの不敵の希いがつよかった。 (殺すものは殺される・・・・) それが避けがたい現実である限り、殺されることは問題ではなく、その死にどんな心境で立ち向かったかが問題であった。 (はたして最善が尽くされていたかどうか?) 濃姫はもはや自分と信長の間に何の対立も感じなかった。濃姫自身は信長の一部であり、信長は濃姫の一部であった。子供の有無にかかわらず、そこに
「信長夫婦」 という一体の生命を意識して生きているのである。 法螺貝が鳴りだすと、案のごとく、奥でみんなが騒ぎだした。 彼女たちはそれぞれ信長の子を産んでいながら、信長とは別々に生きている。 信長の志はわからず、行動なども五里霧中であった。 お類の方がまっ先にバタバタと駆けて来て、 「若さま」
と、わが子に呼びかけ、そのかたわらにいる濃姫を見ると、 「戦でござりまするか」 と、一段下に崩れるように坐った。 つづいてお奈々の方が、これは手に懐剣をもったまま、 「出陣の貝でござりましたが・・・・」 濃姫はきびしい眼で二人をおさえた。 「信忠どのがおられまする。立ち騒いではなりませぬ」 信忠はその声にうながされて、 「案ずることはない。敵への備えじゃ」 と、鷹揚
に言った。 「さよう。奥へ引き取られて、万一の時には、山上の館まで引き揚げられるようにご用意なされ」 「はい。してその攻め寄せました敵は?」 「小谷城の浅井勢が寝返りじゃ」 「まあ浅井どのの・・・・」 お奈々の方と顔見合わせておどろくお類を見ていると、濃姫は、自分と彼女たちの生き方の開きがぐっと胸にせまった。 お類の方もお奈々の方も濃姫よりはるかに不愍
な位置にあった。それは、どこまでも信長の妻ではなくて、飼われている女であり、寄生木
なのである。 バタバッタと音がした。貝の音に驚いた梟
が一羽、窓から飛び込んで来て、北の長押に体をぶつけて広間に落ちた。 「あっ、梟じゃ梟じゃ」 一瞬、子供に返った信忠は、床几から立ち上がった。 お類の方とお奈々の方が不意の闖入者
にあわてたさまが、この少年の興味をぐっとそそったらしい。 梟はバタバタと羽
ばたいた。 |