〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part Z』 〜 〜

2011/06/01 (水) 女 鷲 の 城 (六)

本多作左衛門がゆっくりと立ち上がって出てみると、小平太の構えた槍の先に、十三、四の村の子供らしいのが立ている。いやその子供は小平太に槍をつけられt、当然がたがた震えていなければならないはずなのに、きっと見返した眼が尋常じんじょう ではなかった。
むさ苦しい布子ぬのこ の下に寒気で赤くなったすね が出ていて、履物は半ばきれた足半あしなか だった。
「どうしたのだ、小平太」
「こやつ、しきりにこの幕の内をのぞいていました。うろんな奴だ!」
作左衛門はその少年に近づいて、
「ここは子供たちの紛れ込んでくるところではない。早く出て行け。みんな気が立っているのでな、怪我けが をしてはつまらん」
すると少年は、あられ のいっぱいついた前髪をはげしく振った。
「いやだ、おれは三河の家康どのに会いに来たのだ」
「なに、殿に会いに来たと、何の用で来たのだ」
「家来には言われぬ。家康どのに取り次いでくれ」
「殿はな、いま忙しい。そちに会ってはいられぬ。早くここを降りてゆけ」
少年はまたはげしく首を振った。
「会うまでは降りぬ。ここはもともとおれの城のあったところだ」
「なに、そちの城があったと・・・・」
作左衛門はハッと胸をつかれることがあって、
「よし、おれが調べる。こっちへ来い」
「おぬしは誰だ」
「旗本奉行の本多作左だ」
「ああ、鬼どのか。鬼どのの名は聞いていた。鬼どのならばおれも話そう」
作左衛門はきっと小平太を振り返って、
「ならぬぞ小平太、おぬしは考えすぎて戸惑とまど うている。もう平八郎は戻って来よう。行くな。よいか」
きびしい声でそう言って、少年の先に立って家康の陣屋の前の焚き火のそばへ戻っていった。
「さ、掛けろ。するとおぬしは、この井伊谷の主であった直親なおちか どのの忘れ形見か」
少年はじっと作左衛門を見返したまま、こくりとした。
「たしか万千代・・・・どの、と言われたな」
「いかにも」
「わが殿に会って何とする気だ。万千代どのとわかる証拠を持っているのか」
「それは家康どのに会うまで言えぬ」
「言わねば会わせぬ」
作左衛門はすかさず答えて自分の手で薪を加えた。
「寒い日じゃ、さあ、あたれ」
「鬼どの」
「いう気になったならばよし、言う気がないのなら話しかけるな」
「鬼どのを疑うたは悪かった。おれは家康どのの家来になるためにやって来たのだ」
「ほう、家来になるためならば証拠は持っているであろう。納得できたら会わしてやる。その証拠をおれに見せろ」
「それは出来ぬ」
「出来ねば、断わる」
「鬼どの」
「なんだ」
「証拠は見せられぬが、何を持っているかは話せる」
「ふむ、それを聞こう。何を持っているのだ」
「曳馬野城の女あるじ、吉良御前の手紙を持っている」

徳川家康 (四) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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