「飯尾の後家は、なかなかの烈女
でござりまするそうな」 「うむ、気性は勝った女子だが・・・・」 「それならば、なおのこと、攻められずに降ることはござりますまい」 「すると、その方も攻めよという組か」 家康は苦笑しながら、 「いましならく待ってみよ。必ず使者がやって来る」 作左衛門は、また脇を向いて黙っていた。 (噂はどうやらほんとうらしい) そう思うあとから、女子のこととなると、ふしぎに眼先の見えなくなる家康が困ったものに思えて来た。 作左衛門の考えでは、烈女と言われるほどの女ゆえ、生前良人にその仲を疑われた家康に、攻められもせぬうちから降るとは思えなかった。 いや、その考えは作左だけではない。本多平八郎も鳥居元忠も、榊原小平太もおなじであった。 こうして滞陣している間に、今川氏真の大軍が小笠
を越して押し寄せたらどうするのか、時には殿の知恵も曇る。すぐに火蓋を切るよう、作左衛門に進言してくれとせがんでいた。 「作左、煙いな、もう少し薪を加えよ」 作左衛門はかがんで火を吹きながら家康が早く、古い百姓家に手を加えた幕のうちに入ってくれればよいがと思った。 ここにいて、もし平八郎のことでも言い出されると一大事・・・・そう思っている時に、すぐ眼の下の旗本だまりの中が急に騒がしくなって来た。 「作左、何じゃ。まさか喧嘩
でもあるまいが」 作左衛門は眉根をよせて一礼すると、そのまま溜
りへおりていった。 「何を騒ぐ。殿のお耳に入ったぞ」 幕の中をのぞいて小声で叱ると、 「年寄り、聞いてくれ」 片手を大久保忠佐
につかまれた榊原小平太が泣き出しそうな表情で話しかけた。 「いま、平八郎の小者がひとり戻って来ての話によると、平八郎忠勝、討って出て来た城兵に囲まれて、危ないとの知らせなのだ。それを知って抛っておけるか。平八郎を見殺しにできると思うか」 「待て待て、さわぐな」 押しとどめてふり返ると、なるほど隅
に小者が一人息を切らしてすくんでいた。 「平八郎はどこから敵に仕掛けていった」 「はい。まっすぐ大手へ向って名乗りかけました。この城は生きているのか死んでいるのか。本多平八郎忠勝一人、後詰
めはないのだ。生きている者討って出よと・・・・」 「すると討って出たのだな、人数は?」 「はい三百あまりで取り囲まれ、阿修羅
のように槍をふるっておりまするが・・・・」 するとまた小平太が手をとられたまま身もだえした。 「いかに殿の命はうけぬとは言え、平八郎を殺してなるものか。お叱りは覚悟の上だ。この小平太をやってくれ」 「ならぬ!」 と、作左衛門のうしろで家康の声がした。 (しまった!) そう思ったが、来てしまった以上は仕方がない。作左衛門がゆっくりと振り帰ると、家康は裂けるような眼をしてみんなを睨んでいる。 パラパラと音を立てて霰
が降った。 |