本多作左衛門は紙子
の投げ頭巾 をかぶり、具足
の上へ袖なしの布子 を羽織って、焚き火にあたっていたが、家康の姿を見ると、そろっと立って、自分のかけていた床几を家康の方へ据え直した。 「殿は、飯尾豊前が後家をご存知でござりまするそうで」 「うむ、駿府にあるころの幼な馴染
でな。なかなか気の勝った女子であった」 作左衛門はふとのびあがるようにして木柵の向こうに光って見える浜名湖を見やり、 「いっそ、この暮れの内に、お攻めなされてはいかがでござりまする」 「それには及ぶまい。必ず降る。後家もまた氏真には怨みがあるはずじゃ」 作左衛門は、そういう家康をじろりと睨んで、黙って焚き火に薪
を加えた。 パチパチと北風にはぜながら燃えてゆく煙が、家康の陣羽織にからんで、城山の方へ流れていった。 「作左、その方は後家の良人の豊前が、氏真にうとまれた訳を存じておるか」 「一向に存じませぬ」 「豊前はな、義元が討ち死にされた桶狭間
の一戦に、討ち死にしたものと思われたが、それが無事であったことから氏真に疑われだした。織田家へひそかに心を寄せるもの・・・・この家康と密約あるものと疑われた・・・・」 作左衛門は聞いているようないないような様子で煙をさけている。 というのは、飯尾豊前が、中野
河原 で氏真にだまし討ちにされたいきさつは家康以上に知っていたからだった。 家康と後家との間に以前どのような関係があったのか、豊前はひどく後家を疑っていたという。 そして氏真のために中野河原で生命を落とす時は、これで後家に城を添えて三河の孤児めに献ずるのか・・・・そうつぶやいてこと切れたと言う。 家康が、ここに陣取ってじっと後家の降るのを待っている心のうちには、何かしら、その言葉に連なるものがあるようだった。 いや、現に旗本の若武者たちの間ではそれが大きな不満の一つになっている。 「──
殿は駿府にあられたとき、まだ嫁ぐ前の飯尾の後家とねんごろだったそうな」 「── うん、おれも聞いている。殿は築山御前よりも、吉良の娘だった飯尾の後家が欲しかったのだ」 「──
たとえ昔がどうであろうと、そんなことで戦を長びかせることがあるものか。誰かぬけ駆けして、否応
なしに火蓋 を切らせぬと、この井伊谷で正月をせねばならなくなるぞ」 中でも年少気鋭の本多平八郎忠勝の不満は大きく、実は彼は城門を閉ざしたまま、そよとも動かぬ敵の気配に業を煮やし、今日家康の指揮を待たずに、 「──
城を見にいんで来る」 わずかな手兵
をひっさげて抜け駆けしていったのだ。家康はまだそれを知らない。 「のう作左、たかが女子のこもる城、いずれは降るとわかっている城を、むざむざ仕掛けていって焼くにもあたるまい」 「が・・・・殿、それは殿の誤算ではござりませぬかな」 「予の誤算・・・どこが。申して見よ」 作左はじろりと家康を見て、煙そうに顔をそらした。
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