〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part Z』 〜 〜

2011/05/30 (月) 双 鶴 図 (八)

織田家からの進物が山のように積まれた大広間では家康が着座すると、すぐ佐久間信盛の目録の披露ひろう がはじまった。
案じたよりも瀬名の表情は晴々として、向かいに坐ったコ姫に注がれている。
徳姫は左右へ老女と付き人をしたがえ、あどけない表情で、婿となるべき信康をながめたり、信康の姉の亀姫をながめたりしていた。
さすがは尾張、美濃両国の太守になった信長の一の姫だけあって、家康一家のうしろに、ずらりと居並んだ岡崎の一族老臣に少しも気圧けお された様子はなかった。
目録の披露を終えると、佐久間信盛は坐り直して、両家万々歳の口上を述べた。
信盛の口上が終わると、老女はそっと徳姫の袖にふれた。
徳姫は鷹揚おうよう にうなずいて、家康の顔をながめ、それからそっと手をついた。
「コでござりまする。いく久しくお目かけ下さりまするよう」
「おお、よい子じゃ! 信康の父家康、いく久しくのう」
徳姫はニコリと笑って、今度は瀬名に向き直った。瀬名の目があわててまばたいた。
「母上さま、徳でござりまする。いく久しく」
「はい。信康どのの母じゃ、よく仕えて下されや」
「はい」
そこで徳姫は、年上の亀姫を無視してずらりと居並んだ一族老臣を眺めわたした。口上を忘れたらしい。
「あのう・・・・」 と小さく首を傾けて、
「みなの者」
「はッ」
「大儀であった」
「ははッ」
瀬名の顔色がさっと変わった。この城では瀬名でさえこれほど老臣を見下せない。
家康もハッとしたようだったが、しかしけわ しくなりそうな空気はすぐ次の、無邪気な婿との対応で救われた。
「信康さま」
声をかけられて、きちんと膝に拳をおぴた信康は、
「なんじゃ姫」 と、そり身になった。
「仲よう、ままごといたしましょう」
老女がびっくりして袖を引いたが、その時には婿の信康が、
「うん、遊ぼう」 と立ち上がってしまっていた。
信康についていた平岩新左衛門が、あわてて信康の袴の裾をひいたが、信康は、
「捨ておけ」 と、それを無視して、
「来やれ姫、そこに大きな鯉がいるぞ」
「あい」 と姫も立っていった。
一座は、思わず声のない笑いの波がただよった。信康に手をとられた姫が、いかにも自然に良人おっと に従う、小さな妻に見えたからだった。
家康だけは声を立てて笑った。
信康の気にしていたのは進物の中の例の大鯉だったらしく、いちばん右の蓬莱台ほうらいだい の前に据えられた大だらいのそばに立って、
「のう、大きいであろう、この鯉は」
姫はそれをはじめて見るので眼を丸くしてうなずいた。
「その鯉につき、主君信長より口上がござりまする」
佐久間信盛が、笑っている家康に向き直った。

徳川家康 (四) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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