信長の真情を隠さぬ好意は、三河衆の心には異様な響きを与えた。 (これが祖父以来の仇敵、信長の本心であろうか?) 田楽ケ窪に義元を討ち取ったあの倣岸
な大将が、目をうるませて元康の手を取って迎え入れた。 油断はできぬ ── とみんんは思った。害心なしと安堵させ、どこかで暗殺をくわだてる・・・・いや、心を許した祝宴と見せかけて、毒酒を盛る・・・・そのような例は無数にある時代なのだ。 三河衆にしてみれば、勝者の信長から和睦を求めて来るというのが、すでにおかしなことであった。したがって今日の対面でも対等の立場が与えられるとは思っていなかった。ただ降伏者としての屈辱を少しでもすくなくさせたいと、誰も彼もが昂然
と胸をそらして来たのである。それだけに先ず通された二の丸の書院で、 「ここを宿舎となさるよう。お供の面々もおくつろぎ下され」 信長との連絡は自分が当たるからと言って滝川一益がしりぞくと、 「油断するなよ、おのおの」 と、鳥居元忠が言った。 「どうやら狐どもめ、われらにいっぱい食わす気でいる」 「その手を食おうや。おれはどこまでも殿のおそばは離れぬ。対面の時もこの大薙刀を持ってゆく」 本多平八郎がそういうと、 「大薙刀などかざしてはいけまい。対面の時にはきっと刀を渡せというであろう・・・・」 平岩
親吉 は、憂
わしげに首をかしげて腕組みした。 元康はと見ると書院の上段にどっかりと坐って、わずかに窓を開かせ、五条川の際
に立った高櫓 をじっと見ていた。 城へ到着したのが九ツ半、八ツ半には正式に本丸の広間で信長と対面することになっている。 信長はさしてこわくはなかった。が、冬の空にはりついた午後の雲の重さが心に深いかげをおとしてゆく。 たとえば信長にどのような詭計
があろうと、それはもはや問題ではなかった。信長を信じまいと信じようと、元康は、こうすることが、小さく言えば岡崎のためであり、海道三国の安泰のためと確信しての動きであった。が、その動きを氏真に理解させるための努力を果たして入念にめぐらしたかどうか?
その反問がたまらぬ心の痛みであった。 「── 松平元康はわが野心のために、妻子を殺した・・・・」 そう言われては、人間としてわが生母於大の方に及びもつかないことになる。 今日こうして無事に信長と対面できる裏にも、於大の方の努力はひしひしと感じられた。水野信元を動かし、久松佐渡を動かして、両家和睦の気運を作り出すよう、必死の努力をしてくれたのに違いない。 (それなのに元康は、氏真暗愚
と、かんたんに決め、その暗愚の氏真の復讐
の手を封じる点にぬかりがあったのではなかろうか・・・・) 人間を串刺しにしてさらしたという残忍な処刑のまぼろしが、またしても冬の雲に映じ出そうとして来た時、 「わしに任
せておけ。よいか。若い者は今度だけはわしに任せて口を出すな」 次の間で植村新六郎が孫の本多平八郎を叱っている声が聞こえた。 |